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ヨーロッパ4か国(ドイツ・スイス・オーストリア・チェコ)周遊の旅

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皆様、こんにちは!しばらくぶりの登場、大卍犬太です。
 

今年のゴールデンウィークは、お御世代わりによる、大変特別な長期休暇でしたが、皆様はいかが
お過ごしでしたか?
 

私は、ヨーロッパ4か国(ドイツ・スイス・オーストリア・チェコ)周遊の旅に出かけてきました。
航空券・ホテル・列車の手配も、全てのスケジュールを自分で組む、わがまま放題の一人旅です。
とは言え貧乏性なのでしょうか、かなり詰め詰めのハードなスケジューリング。8泊11日で(空港のあるフランクフルトを除いて)8都市訪問、列車での移動距離がおそらく2,400kmを超えるくらい(北海道一周が約3,000kmだそう)で、iphoneの万歩計では合計150km近く歩いていました。
 

その全部をここで語ることはできませんので、一応仕事に関係あるところも行きましたよ、とのお話を。
 

私自身、弊社で毎月開催している「心斎橋 暮らしのこっとう」の準備を担当しているのですが、
そこで販売しています古伊万里が日本初の磁器で、明から清へ王朝が交代する混乱の時期に中国の磁器のヨーロッパへの輸出が途絶えた時、その代替えとしてオランダ東インド会社によって輸出され、王侯貴族の間で競って収集されていたということは、商品知識を学ぶ中で知っていました。そして宮殿に「磁器の間」を作り飾り立てていたのが、各地にそのまま残っているということで、それらを見に行って来たのです。
 

訪問したのは、3か所。まずは、オーストリアの首都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿(1750年頃完成)。次に、ドイツ・ドレスデンの、ツヴィンガー宮殿(1732年完成)。最後に、ドイツ・ベルリンの、シャルロッテンブルク宮殿(1699年完成)。この中で、ヨーロッパで最大の東洋磁器コレクターであり、ヨーロッパ初の磁器マイセンを完成させるに至ったザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)の宮殿が、ツヴィンガー宮殿です。そちらの紹介をしましょう。
 

庭園も含めて全体(一度では入りきりませんでしたが)はこんな感じ。
 


 

建物は、第2次世界大戦の際の空襲で甚大な被害を受け、その後復元されたのだそうです。現在内部は、アウグスト強王のコレクションを中心に、武器・絵画・陶磁器などの美術館・博物館として公開されています。
その中の、陶磁器博物館へ。
 


 

こんな風に、綺麗で整然とした内部なのですが・・・。
 


 

壁一面、古伊万里の磁器がビッシリ!!
 


 

どれも繊細な筆致で描き込まれており、いかにも高そう・・・。
 


 

アウグスト強王の東洋磁器の収集熱を表す有名な逸話のひとつとして、自軍の兵士600人と、プロイセンの王が所有していた中国磁器151点を交換した、というのがあるのですが、その一例「竜騎兵の花瓶」として展示されていました。
 

こちらに収められているコレクションは約2万点ということで、もちろんまだまだあるのですが、ここまで来て逃せないのは、マイセンです。そちらに飛びます(実際は、電車で30分くらいの距離)。
 


 

マイセンの旧市街には、色とりどりの建物が立ち並び、今回訪れた中で一番かわいい街並みと感じました。
 

アウグスト強王は、東洋磁器の収集に飽き足らず、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉。白磁製法の研究を強制しました。ベドガーが幽閉されたのが、アルブレヒト城です。15世紀に建てられ、現存するドイツ最古の城なのだそうです。


 

内部の装飾の荘厳さに歴史を感じます。
 


 

磁器焼成の研究がされていた場所らしく、様々な実験器具が。
 


 

高温焼成のための窯の設計図も。
 


 

研究がうまくいかず飲んだくれるベドガーの図があると、ネットか何かの情報を見ていたのですが、それらしいのがこれしかなかったんですよねぇ。手にはメスシリンダーみたいなのを持っているし、真面目に研究している風にも見えますが笑
 

結局、ベドガーは1709年に白磁の製造に成功。翌1710年にヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生したのです。それから1864年まで、マイセン磁器工場はこのアルブレヒト城内にありました。
 

現在の「国立マイセン磁器製作所」は、徒歩20分くらいの場所にあります。


 

予想に反して、すごく近代的な建物。内部では、制作の工程を見学できたり、歴代の作品が展示されていたり。
でも、一番驚いたのが、アウトレットショップで売られていた、柿右衛門を模した感じのコーヒーカップのお値段。


 

1,290ユーロが、1,030ユーロに値下げでお買い求め安く・・・って、約12万6千円・・・高いわ!!
 
 

以上、今回の旅行のごく一部のご紹介、大卍犬太でした。

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御堂筋散策

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暖かな日差しに春の訪れを感じるこの頃、皆様はいかがでしょうか。
三十路半ばの親父こと担当のnomoriです。
最近 ふと思ったことがあります。
そういえば長年、南船場で仕事をしていますが、あまり南船場周辺のことを知らない…
最近運動不足でプクプク太ってきたな…と
 
そうだ!
会社の近くを歩いて見よう!!
 
と言うことで、思い立ったら即行動。
今日は御堂筋を歩くことにしました。
 
スタートは御堂筋線 心斎橋駅3番出口付近。
本町方面へ少し歩くとすぐブロンズ像を発見!(旧りそな銀行前)
 

近づいてみると…
 

有名な佐藤忠良の作品。
佐藤忠良は生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現する日本を代表する彫刻家。
まさか、普通に御堂筋に飾られていると思いませんでした。
佇まいが素晴らしい。
もう少し見ていたかったですが、裸婦像をずっと見ているとあやしい人なので先へ進むことに。
 
信号を渡り、向かいの道へ。
またまた本町方面へテクテク。
すると
 

またまたブロンズ像が!
近づくと
 

なんと
オーギュスト・ルノワールの作品!!
 
至る所に素晴らしいブロンズ像が!?
 
調べてみると御堂筋にはたくさんのブロンズ像が飾られていることがわかりました。
その名も御堂筋彫刻ストリート。
大阪のメインストリートである御堂筋を市民や国内外からの来訪者に親しまれるようなアメニティ豊かな芸術・文化軸として整備していくため、沿道企業等からの寄付により、世界的にも一級品である彫刻を設置しているらしい。
 
御堂筋彫刻ストリート(以下のリンクをクリックで公式ページを開きます)
www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000050399.html

 
全部で29体のブロンズがあり、清水多嘉示のみどりのリズムという作品もおすすめです。
タクシー運転手が手を挙げタクシーを止めるお客様と間違えてしまうこともあるとかないとか‥
 
今回の散歩では全部のブロンズ像は見ませんでしたが、また訪れて他のブロンズ像も見たいと強く思いました。
 
さて、
散歩はもう少し続きます。
オーギュスト ルノワールのブロンズ像に別れを告げ、テクテク。
 
すると今度は・・
 

 
近づいてみると

此附近芭蕉翁終焉ノ地と書かれています。
すぐに調べると世界的に知られている江戸時代に活躍した俳人、松尾芭蕉が亡くなった場所だったのです。
 
1694年、松尾芭蕉は門人の之道と珍碩の二人が不仲となり、その間を取り持つため大阪へ。しかし仲を取り持つことがなかなか上手くいかず、心労で体調不良に。
その後、容態は悪化の一途を辿り10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷で息を引き取ったそうです。
 
その場所こそが御堂筋のこの場所だったのです。
有名な松尾芭蕉の終焉の地が職場の近くにあるなんて。
感慨深い気持ちになりました。
 
短かったですが、この辺りで散歩は終了。
今回の散歩で、御堂筋にはアートがあり、歴史を感じれる場所があることを初めて知ることができました。
自分にとって良い発見でした。
 
散歩をし、良いところがあればまた紹介しょうと思います。
拙い文章を最後までお読み頂き、ありがとうございました。
それではまた!担当:nomoriでした。

 

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アートに触れませんか? ~Yumeji Takehisa~

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みなさん、こんにちは!
初めまして。このブログで、初登場の新人です。よろしくお願いします!
 
(★このブログの英語版はこちら。ENGLISH!click!!)
 
 
本日はアートのお話。
弊社では、たくさんの掛け軸や額などを取り扱っております。
それは日本のもの、海外のもの、様々です。
今日はその一部をご紹介したいと思います!
 
若草の少女1
(タイトル「若草の少女」)
 
みなさんは、竹久夢二という人物をご存知でしょうか?
上の図を見て、「あ、見たことあるー!」って方もいるのでは?
 
夢二については以下の通り。
↓↓↓
 


 
竹久夢二(1884.9.16-1934.9.1)
岡山県邑久郡出身で、大正ロマンを代表する人物です。本名は茂次郎。早稲田実業学校中退。
 
美人画が有名ですが、新聞・雑誌にもコマ絵(表紙や挿し込みの絵)を描き、ニューウェーブな画家として世に出ました。
 
夢二の表現する作品は、
時代の
生活感情藤島武二や青木繁の浪漫主義要素世紀末的耽美主義懐古趣味・異国趣味
 
といった感じです。なんとなく伝わるかな。。。^^;
漂泊の人生を送り、その郷愁と憧憬を日本画・油絵・水彩画・木版画にあらわしました。

2002年にCMで使われていた曲(詩歌「宵待草」)もあるとか。聞いてみたら、知っているかもです…!
(お酒のCMらしいです!)
 
広告宣伝物、日用雑貨のデザインをも手掛けており、本当に幅広い分野で活躍していました。
もちろん、当時の大衆に人気あり!
 
また、彼の創作の題材は自身の恋愛遍歴が主であったとのこと。

 
夢二は多くの女性と恋愛をしました。
しかし、これまでに戸籍上、妻となったのは、実はたまきという女性一人なのです。
その他の女性には笠井彦乃、佐々木カネヨなどという女性の名が記録されています。
その中でも、夢二にとっての最愛の人は彦乃だったようですが、彼女は25歳という若さで、生涯を閉じています(原因は結核)。
 


 
それではここからが本題!
弊社はこれまでに、以下のような作品を取り扱いました。
 
まずは「鴨東秋色」。大正後期の作品です。(写真は木版画)
鴨東秋色2
鴨東とは京都・鴨川の東の地域のことです。
夢二は1916年の秋から約二年間京都で暮らしており、その頃に描かれたものだと考えられています。
モデルは、彦乃でしょうか?色白で美人な方ですね。帯が可愛い!!
風景は秋で少し寂しさも感じられますが、女性の華やかさが加わって安らぎも感じられます。
 
 
次は、一番有名な作品 「黒船屋」です。この作品は1919年に描かれたもの。(写真は木版画)
kurofuneya-yumeji
                                  [縁 所蔵品 ask]
 
こちらの作品も同様に、女性の体が、緩やかなS字型の曲線で描かれています。
夢二の美人画らしさが現れていますね。黒猫の体もしなやか~!
 
 
 
そしてそして、縁にはこんなものも…!!
aa
                                  [縁 所蔵品 ask]
 
これは画集というのでしょうか?かなりのページ数があります。
1914年、夢二が30歳の頃に、花咲町の寓居(仮住まいでしょうか?)で描かれたという文言がありますね。
花咲町は横浜にあるみたいです。
 
yumejibook
 
雑誌等の下絵なのでしょうか?スケッチ集?
夢二は心に浮かんだり、目に映したりしたものを
写生帳に書き置く習慣があったのではないかと思われていて、
もしかしたら、この作品もその一つなのでは…!(詳細は不明ですが)
 
a
 
たくさん女性が描かれていますね。中には、疲れている女性も。
 
 
ページをどんどん捲っていくとこんなのもありました!
 
b
英語も書かれていますね。海外向けでしょうか?
野球が題材のものも!(左上の作品)
「Sliding to second base, Safe?」 という文字が書かれているように見えます。
どうやら盗塁は成功しているようですね(笑)
 
 
まだまだありますが今日はここまで。
 
夢二の作品は、リトグラフや木版画で残っているものが多いですね。
気になった方はこちらのページも見てみてください!
 
以下は、縁が出品しているストアページです。
https://stores.ebay.com/en-corporation/_i.html
 
あなたもオークションにチャレンジしてみませんか?
 
 
 
現在、担当のデスクは夢二で溢れています(笑)
作家について、少しは詳しくなれたかと…!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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17-18ウィンターシーズン。からのー・・・。

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表題を見て「え?」となった方多いんでしょうか?「お?」と思った方、お仲間ですね!
ご無沙汰しております。担当の加藤です。
 
冬はスノーボード、春~秋は釣りにというのが私の趣味でして、毎年のように楽しんでおります。
今期のウィンターシーズンは降り始めも早く、また雪も多かったですね。
ほとんどの地域で、その恩恵を受けれたのではないでしょうか。
 
関西在住の私は、「福井」「岐阜」「石川」「長野」「新潟」時々、「北海道」辺りのスキー場に出没しております。
多く行くのは、一番近い福井の福井和泉スキー場です。
 
では、今シーズンの一部を写真と共に。。。
 

↑北海道ルスツリゾート(自己責任エリア)
パウダーandパウダー。ただただひたすらパウダー。
天国です。コース上にひとりだけなんて状況が普通にあります。
ツリーランしながら「最高かよっ!!!」て叫びながら滑っても恥ずかしくもなんともありません(笑)
 
 

↑新潟 関温泉スキー場(自己責任エリア)
パウダーの聖地なんて言われたりしますね。今年はBURTONのイベントもありました。
 
※自己責任エリアは、ガイドをつけてビーコン、ゾンデ、ショベルを携行でお願いします。雪崩、遭難等の危険と隣り合わせであることいつも意識してください。
 
 

↑長野 野沢温泉
広大なエリアのスキー場です。上部のパウダーは滑り易くてパウダー初心者にもオススメです。
レッドブルの大会に出場しました。順位はちょっと悔いが残りますので、来年も出ます。
 
↑長野 おんたけ2240
標高2240メートル、樹氷や写真のように雲海が見れることもある景色の良いスキー場。
 
他にもまだまだ紹介したいところはありますが、それはまたの機会に。
 
 
私のスキー場へ出かける際の傾向として、パウダーがある場所に行きたいっていうこともありますが、「なるべく同じスキー場ばかりに集中しない」というのがあります。
 
もちろん、毎年行くスキー場、何度か訪れるスキー場はあります。
でも、食事をするお店、買い物をする場所、宿泊施設などなどは、なるべく前回と違う場所を選びたいですね。
 
それぞれの土地の郷土の文化を感じる。
それは、仕事にも生かせるのではと思っています。
手軽なところでは、その土地のスーパーに寄るというのが一番分かり易いです。
そこで飛び交う言葉のニュアンスや、あまり関西でみかけないお惣菜や食品。
本当に見ているだけで楽しいですよ。しかも、所謂、観光客向けのお店より比較的お安いので、お土産選びにもおすすめです。
 
今回は私のイチオシ!関西人にはまったくなじみのない「ツルヤ」とういう主に長野地区にあるスーパーをご紹介しましょう!!
 
スーパーマーケット「ツルヤ」
http://www.tsuruya-corp.co.jp/
 
■ツルヤの良い三つのポイント
・オリジナル商品の充実
・お惣菜がおいしい
・店舗数が多く、駐車場もデカくて停めやすい。
 
オリジナル商品の充実
ここにしかない品がある。というのはそれだけで「行く」「買う」の理由になりますね。
最近では、ネット販売も行われているようですが、手に取ってみるのとスマホやPCの画面から感じる印象は随分違います。
しかも、確実に実際に見た方が買いすぎちゃう気がします(苦笑)
また、オリジナル商品もすべての商品を通販にしているわけではなさそうです。
 
お惣菜がおいしい
以下の3位の内容にほぼ書いてしまいましたので割愛。
 
店舗数が多く、駐車場もデカくて停めやすい。
県外から行く場合割と重要です。
大阪から車で向かっている私からすれば、帰り道に寄れる範囲内にない場合まず寄りません。
仮に帰り道から外れて30分掛かるとすれば、往復するだけで1時間、大阪への帰り道の6時間にプラスすると帰りの疲労はかなり辛い。
駐車場が大きいのも、駐車場待ちなんてしなくてよいので地味ですが嬉しいポイントですね。
 
ワタクシ的ツルヤのお勧め商品 TOP3
 
1位  お蕎麦 「つるーと生そば」(ツルヤオリジナル商品)
この安さでこの味!これを食べたら近所のスーパーの同価格帯のものは食べれなくなりました。
蕎麦好きな友達にプレゼントして値段を伝えると、次回に買ってこいと言われます(笑) 生そばは、賞味期限短めなので注意してください。
 
2位  ジャム (ツルヤオリジナル商品)
種類の豊富さはある意味、異常。こんなに長野県民はジャムを愛しているのか、いやツルヤがジャムが愛しているだけなのか。たまに変わった味のものあります…。
「あんこバター」が個人的には好きですが、気になったものは買ってためしてみる!という感じで自分好みのものを見つける楽しさがありますよ。
 
3位  お総菜コーナー
上位の二つは公式通販で買えるようになったようですが、こればかりは現地に行かねばなりません。
おすすめはパンコーナーのお総菜パン。おやきパンは高菜の甘辛が印象的でおいしいですよ。長野からの帰りの車での小腹がすいた状態を救済してくれます。
もうひとつは、「山賊焼」鳥モモの一枚肉にニンニクをがっつり利かせた、かなりワイルドな揚げ物。郷土料理と書いて「ソウルフード」と読む的なヤツです。
これに関しては、若い男性はたまらん感じの味なんですが、車内やその他の密閉空間で食べると「おいにーテロ」になりますので匂いに注意してください。
 
 
とまぁ、17-18シーズンのスノーボードの話をするつもりが、完全に「ツルヤ」LOVE!な内容になってしまいましたね。
それほどに魅力的なスーパーマーケットではあります。
「大阪に出来てくれないかな」などと思うこともありますが、遠くにあるからこそ、いつも手に入らないからこそ、愛おしいというものなのでしょう。
冬に雪の上に立って「今年も雪山に帰ってきたぞー」と思うことよりも、ツルヤの店内にカゴをもって立ち「今年も蕎麦を買って帰らなきゃ…」と思うことの方が尊いような気がしなくもないです。
 
最後にこの手の記事の決まり文句を書いて、最後の言葉としたいと思います。
「ワタクシはツルヤの回し者でも関係者でもありません」
 
以上。

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Japanese art~Yumeji Takehisa~

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Hello everyone!
How do you do? I’m a newcomer.
I’m glad to meet you in this blog.
 
(★This Japanese page is here! 日本語 Click!!)
 
 
Today’s topic is an art.
 
 
We deal with a lot of hanging scrolls and pictures in frames.
There are various kinds of Japan or of other countries.
I will introduce you a part of our items.
 
若草の少女1
(TITLE: “a girl of green grass”)
 
Do you know the person Yumeji Takehisa?
Looking at the picture, you may notice about him…
 
I’ll talk a little about Yumeji.
Please scroll the page.
 


 
Yumeji Takehisa (16/9/1884-1/9/1934)
He was born in Okayama Prefecture. He was a Japanese poet and painter.
He is representative of ‘Taisho Roman’.
‘Taisho Roman’ refers to a trend of thoughts or cultural events that convey the atmosphere of the Taisho period.
His real name is Shigejiro. He dropped out of Waseda Vocational School.
 
He was good at Bijin-ga (portraits of beautiful women) and also, he drew many illustrations in magazines and newspapers.
At that time, he was known as a painter of the new wave.
 
 
Point 1
The expressions which Yumeji used in his art works:
・the mood of Japanese people in the period
・the elements of romanticism of Fujishima Takeji and Aoki Shigeru
・aestheticism, retro-culture and exoticism
 
His life was to drift from place to place,
and so his works (Japanese painting/oil painting/watercolor painting/woodblock printing) expressed the nostalgia and the feelings of aspiration.
 
His poem ‘Yoimachi-gusa’ was set to a melody, became a popular song and was sung nationwide.
In 2002, it was used in commercial.
Have you watched the commercial? It was the alcoholic drinks’ commercial.
 
Yumeji was active in many spheres. He made a design of convenience goods and advertisements.
 
 
Point 2
His own romantic relationships had been used in many creative works.
 
Yumeji was in love with many women, for example Tamaki, Kasai Hikono and Sasaki Kaneyo etc…
He seems to have loved Hikono the most.
She passed away when she was 25 years old. (The cause of her death was tuberculosis.)
And thus he could not get over her death for a long time.
 
But his wife in the family register was Tamaki only.
 


 
All right, let’s begin this main subject!
Our company has dealt with the following works.
 
 
First, this picture is ‘Oto-shushoku(鴨東秋色)’.
 
It was made in the late Taisho period.
 
(※This photo is woodblock printing.)
鴨東秋色2

 
‘Oto(鴨東)’ is the east part of Kamo river in Kyoto.
Yumeji stayed in Kyoto for 2 years since the autumn of 1916.
It seems this picture was painted then.
 
Is this model Hikono?
I think it is a beautiful lady and has a fair complexion.
The belt of a kimono is cute!
I felt a little lonely from this landscape in autumn but I felt peace of mind from this beautiful lady!
 
 
Next, it is ‘Kurofune-ya(黒船屋)’ ,which is the most famous in his works.
‘Kurofune-ya’ means the black ship inn.
This work was painted in 1919.
 
(※This photo is woodblock printing.)
kurofuneya-yumeji
                            [Our company’s collection ASK]
 
Just like this, the lady’s body is showing loose S-shape.
This is the characteristic of Yumeji’s Bigin-ga.
The black cat’s body is limber too.
 
 
And one more thing,
There is such an item in our company too!

 
 
aa
                            [Our company’s collection ASK]
 
It seems to be a sketch book. This book has considerable pages.
 
You can see words that this book was painted at the temporary residence in Hanasaki-cho, Yokohama when Yumeji was 30 years old in 1914.
 
yumejibook
 
Is this designs or rough sketches of magazines?
 
It is believed that Yumeji had a habit to keep a sketch painted at the moment of inspiration and when seeing things with his eyes.
Perhaps this book may be a part of his works…! (But the details are unclear.)
 
a
 
Many women were painted.
There is a tired woman in this book.
 
 
Turning up a pages steadily,
I found it.

 
 
b
 
You can see English words. Is it an item for foreign countries?
There is the theme of baseball in the upper left-hand corner of the photograph.
Can you see an English sentence “Sliding to second base, Safe?”?
It seemes that the steal succeeded!
 
 
There are many things that I still want to tell you,
but that’s enough for today.
 
 
 
Yumeji’s works were left as lithographs and woodblock prints.
If you are interested in them, please do have a look this page.
 
★This page is our store page.
https://stores.ebay.com/en-corporation/_i.html
 
Would you like to participate in auction?
 
 
Now, my desk is filled with Yumeji(‘s books).
I may have got to know more about him…
 
Thank you for reading our blog until the end.
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春の遠足〜京都へ〜

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こんにちは。縁のブログ更新です~
 
先日、友人と春の京都へ行きました。
京都は、なんだか「また行きたいな」と思える場所ですよね。
電車もバスもあって京都市内はとっても移動が便利ですが
これくらいなら〜と思い、ついつい歩き回ってしまう担当tsunです。
 

今回は、住所でいうと東山区。観光名所が多いスポットです。(ex.清水寺や八阪神社など)
六波羅蜜寺→三十三間堂というコースでいきました。
上記写真は、ふらっと立ち寄った豊国神社の桜(^^♪
河原町からちょっと東に歩いて、京都駅の方へ南下して向かうイメージですね。
 
 
さて、まずは真言宗の六波羅蜜寺へ!
 
京の町を友人と話しながら歩いていると、体感時間が短い!
私、こちらの六波羅蜜寺は初めてでした。
お寺に入ると、団体の観光客の方もちらほら。
まず目に入ってくるのは、こちら!!
 

ずんっ!!!!
「十一面観音立像」です。
ちょっとアップで撮りすぎましたかね?笑
なかなかの大きさです。
こうやってまじまじと見ると仏像ってかっこいいっ!
 
天気のいい日でしたので、観音様もツルッとして見えますね。
十一面観音像は、国宝になっているものもありますし、掛軸の画題にももちろんあります。
 

六波羅蜜寺で有名なのは、空也上人像ですね。
そして、平清盛像も有名。こちらは宝物館に入ると、見ることができました。
空也上人は、この六波羅蜜寺の開基者とされています。
口から南無阿弥陀仏と念仏を唱えている様子は、皆さん歴史の教科書で一度は見たことがあるのではないでしょうか。
平清盛像は、歴史上の人物として、傲慢な人というイメージがありますが、ここの像を見ると、とても穏やかな表情です。(宝物館内の撮影はNG。百聞は一見にしかずと言いますし、ぜひ行ってみてください)
その他にも平安鎌倉時代の仏像を見ることができます。
 
美術館に行くことはあっても、仏像をメインで!ということが今まであまりなかったので新鮮でした。
ちょっと仏像のおもしろさに気づけてきたかも…!
 

テクテクと歩き、桜がきれいだったので、ふらりと「豊国神社」へ。
あの豊臣秀吉が祀られています。
 
そしてようやく、蓮華王院三十三間堂へ。
京都国立博物館にはよく行きますが、お向かいの三十三間堂には実は行ったことがなかった担当です。
館内は靴を脱いで、しまっておく靴箱まであり、きれいに整備されていてびっくり!
 
本堂へ入って、すぐにまたびっくり!
ずらーーーーーっと並ぶ千体の千手観音立像と千手観音坐像。
それはそれは見事なものです。
1001体ご本尊ですって。それぞれよく見ると、表情が全然違います。
 
(写真撮影はこちらもNGでしたので、実際に行って感じてください!ぜひ!回し者ではありませんよ。笑)
1001体の他にも、前列には、風神・雷神像や、大体がインド起源の28体の仏像(毘沙門天など)が立ち並んでいました。
 
拝観料600円を悠々と超える満足感でしたが、実は、千手観音像は1001体揃って見ることはなかなかできないそうです。常に修復や美術館へ貸し出されているのだとか。
一度は、揃っているのを見てみたいですね。
 
最後は京都駅でお茶してこの日は閉幕。
長くなりましたが、最後までご拝読いただき、感謝ですm(__)m
みなさんもふらり、京都へ行ってみてください。
結構歩いて、いい運動にもなりますよ~。最近は素敵なカフェもありますし(^^)
私は、京都に限らずですが、他にも仏像を見にいこうかと思案中です~。
あ、普段扱っている掛軸の作者のゆかりの地に行くのもいいですね~。
 
それではまた。
担当tsunでした。