【売約済】掛軸<菅楯彦>撞木橋図 大阪画壇 (HP012)
- 作家菅楯彦
- 時代明治・大正・昭和
- 全体縦188cm×横47cm
- 内寸縦124cm×横35.5cm
- 本紙絹本
- 状態本紙全体にシミ有
- 付属品共箱・二重箱
- 価格売約済
とても勉強熱心だった<菅楯彦>。
漢学・国学・仏教美術史・宗教史を学び、その豊富な知識から一時大阪陸軍地方幼年学校の美術と歴史の先生をしていたようです。
師について有識故実を学んだ彼の講義は、さぞおもしろかったに違いありません。
彼の好奇心は多岐に渡り、この頃に松原三五郎に洋画も学んだとか。
フランスでの美術展に出品した「春宵宜行」(現在ポンピドゥーセンターに収蔵)は高く評価され、フランス政府買い上げとなりました。
歴史画を描くときの作風とはちょっと趣が違うこの絵は、なんとなく洋画のような雰囲気を醸しだしていますね。
どんな作風も自分のものにしてしまえる巧者、楯彦のまた違った一面を見ることができる作品です。
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【菅楯彦】1878-1963
明治11年、日本画家菅盛南の長男として鳥取に生まれる。
本名は藤太郎。幼いころ父とともに大阪に移住。
11歳の時に父が病に倒れ、学校を中退し、「盛虎」と号して絵筆で一家の生計を支えた。
特定の師につくことなく独学で四条派、狩野派、土佐派、浮世絵などを模写研究し、独自のスタイルを確立。
浪花の風俗を愛し、自らを「浪花御民(なにわみたみ)」と称し、はんなりとした情緒ある作風が特長。
「最も大阪らしい画家」と呼ばれ、今なお多くのファンが存在する。
晩年には日本画家として初の日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。
昭和37年には初の大阪名誉市民に選ばれた。
昭和38年、85歳で死去。
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◆封筒に入った菅真人(菅楯彦の甥)の手紙付き
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