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【売約済】掛軸 <橋本関雪> 秋江帆影図 (HP075)

  • 作家橋本関雪
  • 時代大正・昭和
  • 全体縦216.5cm×横50cm
  • 内寸縦138cm×横36cm
  • 本紙絹本
  • 状態 
  • 共箱・二重箱
  • 価格売約済

なだらかな稜線に沿って秋の色に染まる山々。木々の合間から民家が見えます。
上空に靄がかかったような大河を、帆船が進みます。

どこか懐かしさを覚えるような心象風景です。

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【橋本関雪】1883-1945

兵庫県神戸市生まれ。大正~昭和に活躍した。父は、旧明石藩の藩儒(藩に仕えた儒学者)の橋本海関(かいかん)。関雪は父の影響で、幼少期から漢学に親しんだ。

四条派の片岡公曠(こうこう)に師事した後、20歳の時京都に出て竹内栖鳳の画塾、竹杖会に入門。籍を置きながらも、中国文人画の影響を受けた独自の作画姿勢を貫いた。南宗画の古典を研究し、また明末清初の文人画家に傾倒。写実から離れ、画家の主観により精神性・詩情性を加える「新南画」と呼ばれる領域を拓いた。1923(大正12)年に竹杖会を退会。「最後の文人」と謳われた富岡鉄斎が没してからは、彼の後継的な役割も果たす。

ただ昭和に入ると、一転して四条派らしい写実的な動物を描き始め、二匹の猿を描いた「玄猿」(1933、昭和8)が文部省の買い上げとなると、彼の代表作となった。

1931(昭和6)年、フランス政府よりシュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を授与される。また室戸台風で倒壊した京都・建仁寺の方丈が再建された際、襖絵60面を制作した(1940、昭和15年)。

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南宗画、文人画、新南画といった言葉が出てきました。
3部に分けて解説します。

① 北宗画と南宗画(https://www.art-en.jp/hp074 をご覧ください)

② 日本への渡来と発展

南宗画・文人画の渡来は、江戸初期、日本に黄檗宗(臨済宗黄檗派)が伝えられて以降のこととされる。渡来した黄檗僧の多くが文人的教養を備え、禅余に絵を描いた。

日本人としての先駆には、祇園南海(1676-1751、儒者)、服部南郭(1963-1759、儒者)、柳沢淇園(1703-1758、武士)、彭城百川(1697-1752、俳人)などの知識人がおり、その後、京都の池大雅(1723-1776)、大阪の与謝蕪村(1716-1784)といった画家たちが大成した。

彼らは職業画家で、中国の南宗画を描いた人たちとは立場・状況が異なるが、中国文人画の様式・理論、すなわち、気韻生動(きいんせいどう:生気が満ち溢れるという意味だが、一点一画に作者の人格が反映するともされた)や、詩書画一致(詩、書、画が一体となって一つの世界を表現するため、全てに精通していることが求められた)などに憧れ、描いたのである。

江戸後期頃の関西では、木村兼葭堂(1736-1802)、岡田米山人(1744-1820)、浦上玉堂(1745-1820)、青木木米(1767-1833)、田能村竹田(1777-1835)、頼山陽(1781-1832)らが、関東では、谷文晁(1763-1841)、渡辺崋山(1793-1841)、椿椿山(1801-1854)らが、優れた作品を残した。

このジャンルを幕末頃には南画(南宗画の略だが、日本的な南宗画といったニュアンス)という呼ぶようになった。

③ 南画の大衆化と新南画への動き (https://www.art-en.jp/hp076 をご覧ください)

スタッフD



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