掛軸 <橋本関雪> 深山賞秋図 (HP076)

縦長の画面には収まらず、はるか向こうまで続いていることを想像させる山々。
手前の小さな仙人風の人物に、覆いかぶさるかのような独特な形状で、険しさが表されています。

神秘的な霊山を表現したのでしょうか。

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【橋本関雪】1883-1945

兵庫県神戸市生まれ。大正~昭和に活躍した。父は、旧明石藩の藩儒(藩に仕えた儒学者)の橋本海関(かいかん)。関雪は父の影響で、幼少期から漢学に親しんだ。

四条派の片岡公曠(こうこう)に師事した後、20歳の時京都に出て竹内栖鳳の画塾、竹杖会に入門。籍を置きながらも、中国文人画の影響を受けた独自の作画姿勢を貫いた。南宗画の古典を研究し、また明末清初の文人画家に傾倒。写実から離れ、画家の主観により精神性・詩情性を加える「新南画」と呼ばれる領域を拓いた。1923(大正12)年に竹杖会を退会。「最後の文人」と謳われた富岡鉄斎が没してからは、彼の後継的な役割も果たす。

ただ昭和に入ると、一転して四条派らしい写実的な動物を描き始め、二匹の猿を描いた「玄猿」(1933、昭和8)が文部省の買い上げとなると、彼の代表作となった。

1931(昭和6)年、フランス政府よりシュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を授与される。また室戸台風で倒壊した京都・建仁寺の方丈が再建された際、襖絵60面を制作した(1940、昭和15年)。

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南宗画、文人画、新南画といった言葉が出てきました。
3部に分けて解説します。

① 北宗画と南宗画(https://www.art-en.jp/hp074 をご覧ください)
② 日本への渡来と発展(https://www.art-en.jp/hp075 をご覧ください)

③ 南画の大衆化と、新南画の動き

多くの優れた画家たちの登場と同時に、南画の大衆化も進む。天下泰平の世、財を蓄えた商人や地主が増え、時間と金を持て余す中で文化・芸術にのめり込み、全くの素人でありながら南画を描く。

多くの駄作が世の中に氾濫し、明治時代にお雇い外国人として来日したアーネスト・フェノロサ(1853-1908)は南画を批判。それに同調するように、当時の新聞では、判を押したように山芋のような形の山々を描くマンネリを蔑み「つくね芋山水」と表現された。

これを受け明治20(1887)年頃には、南画の近代化への取り組みが始まり、想像・模倣ではなく、西洋画的な遠近法を取り入れより写実的に描いて再起を図ろうとの動きがなされた。

その後、明治から大正に移り変わる時期(1910~20年代)には、非写実的で抽象的、作家の主観の表現といった西洋の後期印象派の絵画と同等の性格を南画に見出し、再評価する「新南画」という言葉も生まれた。

この新南画を拓いた一人とされる橋本関雪も、自著「南画への道程」(1924)の中で「南画は写実主義でも印象主義でもない表現主義である。一個の人格がある物体を借って自己の魂を吹き入れるべく内より外へ現はれたる自己の表現である」と述べている。

スタッフD



◆共箱・二重箱

  • 作家橋本関雪
  • 全体長さ216×横幅50cm
  • 内寸長さ148×横幅38cm
  • 価格70,000円(税込)

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