掛軸<平沼騏一郎>書(HP1025)
- 作家平沼騏一郎
- 時代明治・大正・昭和
- 全体縦199cm×横47cm
- 内寸縦133cm×横33cm
- 本紙紙本
- 状態状態は標準的です。
シミ、本紙にヨレがあります。 - 付属品箱有り
- 価格20,000円(税込)
【平沼騏一郎】1867-1952
明治から昭和前期の司法官,政治家。美作国(岡山県)津山藩士平沼晋の家に生まれ(兄は淑郎),明治21(1888)年帝国大学法科大学を卒業。司法省に入り,32年東京控訴院検事に補せられ,以後検事畑を進み,38年大審院検事,39年司法省民刑局長。40年英・独・仏に派遣され,また法学博士号を受ける。この間日糖事件,大逆事件などの取り扱いで名を上げた。44年刑事局長,大正1(1912)年検事総長に補せられ,以後約10年その職にあり,シーメンス事件,大浦事件などで腕を振るった。同時にこの前後様々な委員となり,数多くの立法,法改正の事業に参画。10年大審院長,12年第2次山本権兵衛内閣の司法大臣に任じられ,国民精神作興に関する詔書に関与した。社会主義の勃興に危機感を抱き,13年国本社を組織して社長。12年日本大学総長。13年枢密顧問官,15年枢密院副議長,また男爵を授けられた。この前後から司法関係を中心に官僚,軍人,民間に反既成政党,「復古―現状打破」的な志向を持つ平沼閥の存在が喧伝され,中間内閣の首班候補とみなされ,反対派からはファッショと非難された。昭和11(1936)年枢密院副議長就任ののち国本社を解散。14年1月大命を受け組閣。前内閣からの防共協定強化問題で苦慮した揚げ句,独ソ不可侵条約の締結を機に辞職。このころから「現状維持」派と目され,16年に狙撃され重傷。15年末の第2次近衛内閣の改造で内務大臣に就任し「新体制」に水をかける役割を演じた。20年枢密院議長。敗戦に伴いA級戦犯容疑者として収監され21年東京裁判で終身禁固の判決を受けた。病没。
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