【売約済】<沢渡素軒 日下部鳴鶴 森琴石 山本梅荘 他>画帖2冊組 書・山水図・花鳥など(HP727)

  • 作家沢渡素軒 日下部鳴鶴 森琴石 山本梅荘 他
  • 時代明治・大正・昭和
  • 全体縦21cm×横15cm
  • 内寸-
  • 本紙紙本
  • 状態状態は標準的です。
    少しイタミ、シミ、虫食い穴、カバーにイタミがあります。
  • 付属品本カバー有
  • 価格売約済

【沢渡素軒】
名は広孝、字は子敬。沢渡精斎(紀広繁)の子。別名紀廣孝。京都の人。呉春から紀広成へと続く四条派の系譜を父と共に繋ぎ、師匠筋の紀広成の墓碑も継ぐ。
確認されている作品は非常に少ないと思われる。

【日下部鳴鶴】1838-1922
明治大正時代の書壇の第一人者。彦根藩士田中惣右衛門の次男。名は東作。字は子暘。号を東嶼,翠雨,鳴鶴と改めた。晩年,野鶴,老鶴,鶴叟の別号も 用いた。24歳のとき京都に出て書に志を立て,『蘭亭序』に酒を供え専念学習を誓った。このころ,貫名海屋の書に感銘して私淑。明治2(1869)年,上京し官吏となり,累進して太政官大書記官となる。三条実美,大久保利通の信任を受けたが,利通暗殺を契機に官を辞し,書学に専念する。13年,楊守敬が漢魏六朝の碑版・法帖を携えて来日すると,巌谷一六らと約5年その書法を研究,廻腕直筆の用筆法を修得し,独自の書風を築いた。24年,清国に遊歴し「東海の書聖」と賞揚される。帰国後,同好会を発足させて後進の育成を図り,読書会を起こし文人墨客との親交を深めた。80歳の折に,門弟を集め大同書会を創立し,機関紙『書勢』を発行。勅命により揮毫した「大久保公神道碑」は代表作のひとつ。

【日下部東作】1838-1922
名東作,一作日下東作,字子暘,初號東嶼、翠雨,晚號鳴鶴、野鶴翁、鶴叟、老鶴。江州人。為舊彥根藩士,元治、慶應 閒從征討逆,明治初歷官太政大書記,書學、印學悉有工力,鄰蘇老人極推重之。嘗遊中國,諸名士目之為東海書聖云。

【森琴石】1843-1921
明治-大正時代の日本画家。鼎金城、忍頂寺静村に文人画をまなび、妻鹿友樵に師事して漢学をおさめる。内国勧業博、日本美術協会展などで受賞をかさね、大正2年文展審査員。明治・大正の大阪画壇の指導者として、また銅版画家としても活躍。関西南画壇で重きをなした。大正10年2月24日死去。79歳。摂津有馬(兵庫県)出身。本姓は梶木。名は熊、後年繁と改める。初号を蘆橋、次に金石、更に琴石と改めた。字は吉夢。別号に栞石、鉄橋、雲根館等も号し、斎号を聴香読画廬。

【森琴石】1843-1921
出生在兵库县。明治至大正时代日本画家。本姓梶木。名熊。字吉梦。初时问业鼎金城,后向忍顶寺静村学习文人画,向其妻鹿友樵学习汉学。屡在国内勧业博,日本美术协会展上获奖。擅长山水、花鸟,琴石与竹外被共誉为“南宗画的双璧”,世人称其为诗书画三绝。

【山本梅荘】1846-1921
明治-大正時代の日本画家。貫名海屋,三谷雪崦に文人画をまなび,郷里愛知県半田にもどって中国の古画を手本に修業をつむ。山水画にすぐれ,吉嗣拝山,児玉果亭とともに地方の三大家といわれた。76歳。名は〓(“馬へん”に「冏」)。字は子埜。通称は倉蔵。別号に半村(半邨)。雛作品に「夏景山水」など。

【奥村恭法】1865-?
日本画家。慶応元年(1865)尾張生。名は環次郎。鬼頭道恭に巨勢派を学び、仏画を能くした。享年未詳。

【大矢米年】1879-1966
愛知郡米野に生まれ、11歳の時奥村石蘭の門に入り四条派の画を学び、のち京で森川曽文の教えをうけて花鳥画を研究。その没後は久保田米僊に師事。人物・山水を得意とする。一家をなし八事音聞山に居を構えた。昭和10年の『大日本画家名鑑』には元老大家と記された。

【大雅堂定亮】1839-1910
画僧。京都生。大雅堂清亮の子。俳句や和歌を能くし、風流閑雅を好んで、悠々自適の生活を送った。明治43年(1910)歿、72才。

【日比野白圭】1825-1914
日本画家。名古屋の人。名は斎、通称は金吾。別号に竹翁・鳳声居など。中林竹洞や森高雅など様々な門に入り、画を学んだ。門人に森村宜稲などがいる。大正3年(1914)歿、90才。

【大八木也香】
大正期の日本画家。明治7年6月27日東京入谷生れ。也香楊壽生の子。名義之助、別号金鏡、正香、大文、居を善楽堂と称す。三田利徳に就き漢学を修め、画を父及び佐竹永湖に学び、専ら文晁派を修め、山水画を得意とする。美術協会・日本画会などで受賞多数。東宮職及び宮内省御用品各1回。帝国絵画協会、日本美術協会会員。

【森半逸】1848-1940
愛知県(尾張国)葉栗郡島村に生まれのち岐阜に出て活躍。本名は嘉兵衛、六々斎半逸と号す。森半景の兄。村瀬太乙に詩文を、村瀬秋水・吉田稼雲に絵画を学び、京の前田半田に師事し岐阜に住む。幾多の展覧会に入賞。半田の山本梅荘とも親しく交わる。

【鬼頭道恭】1840-1904
幕末-明治時代の日本画家。天保11年生まれ。森高雅に入門,京都に出,巨勢派の北村季隆に仏画を,岡田為恭に土佐派の技法をまなぶ。郷里名古屋で仏画を専門とし,身延山久遠寺 六角堂内の装飾絵を完成した。明治37年4月15日死去。65歳。通称は玉三郎。

【久保田金仙】1875-1954
明治8年京都に生まれる。日本画家久保田米僊の次男。兄は久保田米斎。本名は吉太郎、のち満昌。川崎千虎に師事した。京都府画学校を卒業後東京に住し、日清戦争・日露戦争では従軍記者として戦地に赴く。のち日本青年絵画協会・絵画共進会等で活躍。文展入選。
昭和29年歿、79歳。

【吉田耕雲】
江戸後期の画家。弘化元年(1844)京都生。通称は源之助。画を村瀬秋水に学ぶ。

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