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掛軸<八代六郎 名和又八郎>双幅 書「忠魂義胆・自有蒼々鑒赤誠」(HP792)

  • 作家八代六郎 名和又八郎
  • 時代明治・大正
  • 全体縦190cm×横50cm
  • 内寸縦133cm×横37cm
  • 本紙絖本
  • 状態状態は標準的です。
    シミ、ヨレ、折れがあります。
  • 付属品箱有り
  • 価格25,000円(税込)

【八代六郎】1860-1930
明治大正期の海軍軍人。父松山庄七は尾張国丹羽郡楽田村(犬山市)の大庄屋。水戸浪士八代逸平の養子となった。6年愛知英語学校に入学(同窓に坪内逍遥,三宅雪嶺など)。9年県の選抜生となり上京,落第すれば侠客になる覚悟で海軍兵学校を受験,合格(8期)。日露戦争(1904~05)には「浅間」艦長として出征。仁川沖海戦の前夜,海上にて尺八を奏した。また勲功による下賜金を戦死した部下の遺族に与えたりするなど,部下思いとして知られる。軍政の経験がなかったが同郷の加藤高明の懇請もあって第2次大隈重信内閣の海軍大臣となり,5月にシーメンス事件により辞職した首相山本権兵衛,海軍大臣斎藤実の予備役編入を断行して海軍の信頼回復に努め,一方で懸案の海軍費の拡張を議会に認めさせた。5年男爵,7年大将に進み軍事参議官となる。

【名和又八郎】1864-1928
明治大正期の海軍軍人。父は小浜藩(福井県)藩士武久久三,養父は名和荘山,妻は海軍少将滝川具和の妹,長男武は海軍技術中将。明治12(1879)年海軍大学校入学,卒業後海上勤務を歴任,日清戦争(1894~95)では常備艦隊旗艦「松島」分隊長。32年海軍省副官兼海軍大臣秘書官を経て,「初瀬」回航員としてイギリスに出張。帰国後大佐,海軍省人事局2課長,日露戦争(1904~05)中は同1課長となる。戦争後「出雲」「厳島」「生駒」艦長を歴任し41年少将。呉鎮守府参謀長を経て第2艦隊司令官,45年中将,大正3(1914)年教育本部長となる。その後舞鶴,横須賀両鎮守府長官を経て大将。のち軍縮に反対。

【忠魂義胆】
忠義を重んじ守る心のこと。忠魂は忠義ひとすじの心。義胆は正義を重んじる精神の意。

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