【売約済】掛軸<川端玉章>三幅対 吉野桜・八重桜に勿来関図(HP929)
- 作家川端玉章
- 時代明治・大正
- 全体縦215cm×横56cm
- 内寸縦115cm×横41cm
- 本紙絹本
- 状態時代を考慮して、状態は良いです。
折れ、シミ、表具にヨレ、本紙に絵具剥脱、武者図表部下部にへこみがあります。 - 付属品極箱・極書(川端茂章)
二重箱 - 価格売約済
【川端玉章】1842-1913
日本画家。京都生。名は滝之助、別号に敬亭、晩年に璋翁。11才の時中島来章の門に入り、のち小田海僊に学ぶ。上京して高橋由一・ワーグマンに油絵も習う。また円山応挙を慕い近代円山派の泰斗となる。画塾天真堂・川端画学校を設立、門下に結城素明・平福百穂らを輩出する。東美校教授・文展審査員・帝室技芸員。72才。
【川端茂章】1883-?
日本画家。明治16年(1883)東京生。川端玉章の子。名は敬男、字は璞父。画を父に学ぶ。川端画学校教授・副主幹となった。
【勿来関】
古代から歌枕となっている関所の1つ。江戸時代の終わり頃からは「奥州三関」の1つに数えられている。この場所で源義家が詠んだとされる歌が残っている。
「吹く風を 勿来の関と 思へども 道も狭にちる 山桜かな」
千載和歌集 源義家
【源義家】1039-1106
平安時代中期-後期の武人。長暦3年生まれ。源頼義の長男。前九年の役で父とともに活躍。のち陸奥守兼鎮守府将軍となり,後三年の役で清原氏の内紛を鎮圧,東国に源氏の基盤をきずいた。天下第一の武勇の士とされ,衣川の合戦での歌のやりとり,雁の列の乱れに伏兵をみやぶるなど伝説がおおい。嘉承元年7月4日死去。68歳。通称は八幡太郎。
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