掛軸<堀江友声>大幅 楼閣山水図(HP932)
- 作家堀江友声
- 時代江戸時代後期-明治
- 全体縦225cm×横85cm
- 内寸縦130cm×横70cm
- 本紙絹本
- 状態時代を考慮して、状態は良いです。
折れ、表具上部にヨレ、浮き、本紙にシミ、少し虫食い、絵具剥脱があります。 - 付属品箱有り
- 価格500,000円(税込)
【堀江友声】1802-1873
享和2年大原郡大東町生まれ。森山勇兵衛為春の二男。長じて母方の堀江家を継いだ。幼名は森山善三郎で、のちに善之丞と改めた。字は斧厳、名は精一、初名は豊信。別号に雲峰盛伯、遷喬、豈楽斎などがある。文化12年、14歳の時に松江に住んでいた狩野派の竹内衡山に入門したが、翌年衡山が没したため、文化14年、京都に出て狩野派の山本探淵に師事した。また、宋・元・明の諸名家の筆法を研究するとともに、四条派の柴田義董に私淑して研鑽に励んだ。文政2年帰郷したのち、備後の三次、芸州広島、厳島、讃岐などを遊歴、文政3年京都に出て、文政6年には関東を目指して京都を発ち、濃州岐阜で画事に勤しんでいたとき、郷里の大東が大火に見舞われたため帰郷した。帰郷中に、出雲、伯耆の各地を遊歴、文政10年には長州萩に遊んだ。天保元年、29歳の時に、海北友松の末裔・友徳に請われて養子となり、友徳に代わって海北家の画事に従事した。この時から「友声」の画号を用いている。翌年、家督に関して折り合いがつかず、海北家を離れ、美濃、尾張を遊歴、天保3年帰郷し、出雲各地で画事に勤しんだ。嘉永4年、広瀬藩9代藩主・松平直諒のときに、広瀬藩に召抱えられた。明治6年、72歳で死去した。
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