【売約済】掛軸<篠崎三島 葛子琴 岡魯庵 中井履軒 中井竹山 早野仰斎 他>大阪儒者 十六幅対 画賛 江戸時代中期(HP971)

  • 作家篠崎三島 葛子琴 岡魯庵 中井履軒 中井竹山 早野仰斎 他
  • 時代江戸中・後期
  • 全体一枚目一番右掛軸
    縦189cm×横39cm
    他掛軸サイズは画像を参照してください
  • 内寸一枚目一番右掛軸
    縦129cm×横28cm
  • 本紙紙本
  • 状態時代を考慮して、状態は良いです。
    シミ、折れ、虫食い、本紙にヨレ、イタミ、剥離があります。
  • 付属品箱有り
  • 価格売約済

【篠崎三島】1737-1813
江戸時代中期-後期の儒者。大坂の人。商家をつぐ。菅甘谷に徂徠学をまなび,40歳で家塾梅花書屋をひらく。詩書,天文に通じ,尾藤二洲ら朱子学者とまじわる。養子小竹が家学をついだ。文化10年10月30日死去。77歳。名は応道。字は安道。通称は長兵衛。別号に郁洲。著作に「碧紗籠集」など。

【葛子琴】1739-1784
江戸時代中期の日本の漢詩人・篆刻家である。天賦の才を持った詩人と評され、一方篆刻では高芙蓉の高弟として活躍。 苗字は橋本氏、通称が貞元だったので橋本貞元と称された。名ははじめ湛また耽と称しのちに張、子琴は字、号は庵(とあん)、室号を御風楼・小園叟とした。本姓が葛城氏であったので中国風に修して葛子琴と名乗った。浪華の人。

【岡魯庵】1737-1787
江戸時代中期の医師,儒者。 元文2年生まれ。大坂で医を業とし物産学,本草学にも通じる。菅甘谷(かんこく)の門にまなび詩文をよくした。片山北海の漢詩結社混沌社にくわわり,葛庵(とあん)らと交遊した。天明6年12月18日死去。50歳。名は元鳳。字(あざな)は公翼。通称は元達。別号に慈庵,白洲,澹斎。著作に「香橙窩集(こうとうかしゅう)」,編著に「毛詩品物図攷(もうしひんぶつずこう)」など。

【中井履軒】1732-1817
江戸時代中期-後期の儒者。 享保17年5月26日生まれ。中井甃庵の次男。兄中井竹山とともに大坂の学問所懐徳堂で五井蘭洲に朱子学をまなぶ。私塾水哉館をひらいていたが,享和4年兄の死後懐徳堂の学主となった。文化14年2月15日死去。86歳。大坂出身。名は積徳。字は処叔。通称は徳二、号は幽人。著作に「七経雕題略」「七経逢原」「通語」など。

【中井竹山】1730-1804
江戸時代中期の儒学者。大坂生まれ。名は積善,字は子慶,通称は善太。竹山居士,同関子,渫翁,雪翁と号した。中井甃庵,早の長男。諡 は文恵。2歳下に弟・履軒がいる。4子蕉園,7子碩果が学を継いだ。竹山誕生の年,懐徳堂初代学主三宅石庵が没し,父甃庵が2代学主となった。10歳ごろから学問に発憤,寛保3(1743)年父の親友で堂の助教五井蘭洲に師事した。天明2(1782)年53歳,春楼没後,4代学主となり,朱子学を標榜,大いに堂風を振起し,弟履軒の協力もあり,その最盛期を築いて従学者が多かった。8年大坂巡視の松平定信より時務を下問された。寛政4(1792)年懐徳堂は類焼したが復興に努め,8年再建。翌年預り人を長男蕉園に譲った。竹山は偉丈夫で経世的識見に富み,学は程朱(宋学)を宗としつつ陸王(陽明学)も斥けぬ融通性を具え,経学文章を併せ尊んだ。詩文をよくし,混沌社の文人とも雅交を結んだ。墓所は大阪上本町誓願寺。

【早野仰斎】1746-1790
江戸時代中期の儒者。延享3年生まれ。大坂の人。懐徳堂で中井竹山にまなぶ。のち私塾をひらいた。寛政2年3月27日死去。45歳。名は弁之。字は士誉。通称は栄輔,永助。別号に太痩生。

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