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掛軸<松本楓湖 渡辺省亭>双幅 勾当内侍・紫式部石山寺観月画賛 「我が袖の~」 倣:菊池容斎(HP985)

  • 作家松本楓湖 渡辺省亭
  • 時代明治・大正
  • 全体縦172cm×横45cm
  • 内寸縦83.5cm×横32.5cm
  • 本紙絹本
  • 状態時代を考慮して、状態は標準的です。
    シミ、表具に折れがあります。
  • 付属品共箱
  • 価格240,000円(税込)

【松本楓湖】1840-1923
明治大正期の日本画家。常陸国(茨城県)小野村生まれ。幼名藤四郎のち敬忠。嘉永6(1853)年江戸に出て,初め沖一峨,のち佐竹永海に学ぶ。明治1(1868)年菊池容斎の『前賢故実』をみて容斎に入門し,歴史人物画を学ぶ。一時輸出陶器下絵を描き,また雑誌や新聞に多くの挿絵を制作。自ら『日本歴史画報』の編集主任も務めた。日本画会,日本美術院,巽画会などに関係したが,その門下から今村紫紅,速水御舟ら再興日本美術院を担う重要作家が多く輩出したことは,特筆に値する。大正8(1919)年帝国美術院会員となる。

【渡辺省亭】1852-1918
明治-大正時代の日本画家。嘉永4年12月27日生まれ。菊池容斎にまなび,洋風を加味した独自の花鳥画を得意とした。挿絵,木版画も手がけた。明治11年パリ万博に出品して銅牌を,16年アムステルダム万博で銀牌を受賞。大正7年4月2日死去。68歳。江戸出身。旧姓は吉川。名は義復。通称は良助,政吉。作品に「雪中群鶏図」。

【勾当内侍】
生没年不詳。南北朝時代,新田義貞の妻のひとり。世尊寺経尹の娘,一条行房の妹。一説に行房の娘とも。匂当内侍は職名。『太平記』は「天下第一の美人」とする。内侍の弾く琴の音を聞いて義貞が恋慕し,歌を遣わしたのが出会いである。建武3/延元1(1336)年,足利尊氏が九州に没落していたとき,直ちに下向して討ち滅ぼすべき好機を失したのは,義貞が内侍との別れを惜しんで下向を延期したためと『太平記』は記す。また後醍醐天皇が比叡山に逃れたとき,勝に乗って追撃すべきところをしなかったのも内侍に迷ったせいだとする。節目節目で義貞の進退を誤らせた女性,つまり傾国の美女として描かれているわけであるが,これは軍記文学のパターンを踏んだものと考えられ,どこまでが事実か定かではない。義貞の討死後は,出家して嵯峨の往生院辺りに住んだといわれる。なお義貞の正室は,安藤左衛門五郎重保の娘で義顕の生母。義貞が北条高時を攻め滅ぼしたとき,高時方の叔父安東聖秀の命乞いをほのめかした彼女は,聖秀から逆にたしなめられたという。義貞の妻としてはほかに天野民部橘時宣の娘も知られている。

【紫式部石山寺観月図】
石山寺は紫式部が参籠し源氏物語の構想を練ったという伝承が残る。

【菊池容斎】1788-1878
江戸末期から明治初期の画家。江戸の人。名は武保,通称量平。与力を代々務める家に生まれたが,絵を好み,狩野派の高田円乗に師事。1825年(文政8)西丸御徒の役を退いて絵画制作に専念した。幕末の復古思想に影響され,明君忠賢烈士500余人の画像を描き集めた《前賢故実》(1836)を著すなど,歴史故実を学んで歴史的主題を表現する分野を開拓し,小堀鞆音,松本楓湖らの近代歴史画の先駆となった。


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和歌の読み:

我が袖の 泪に宿る 影とだに しらで雲井の 月やすむらん
いづくとも 身をやるかたの 知られねば 憂しと見つつも ながらふるかな

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