泥沼に咲く美しき蓮の花

大田垣蓮月(1791-1875)は、京都生まれ。幕末・明治期の女流歌人です。和歌を上田秋成、香川景樹に学び、小沢藘庵に私淑。穂井田忠友、橘曙覧、野村望東尼ら歌人のほか、与謝野礼厳、梁川星巌、梅田雲浜、健仁寺梧庵ら維新の志士とも交流がありました。また老年となって富岡鉄斎を侍童としました。

“願わくはのちの蓮の花の上に くもらぬ月をみるよしもがな”
(願わくば、極楽往生したのち、蓮の花の上で、曇ることのない月の光を見る手立てがあったなら)

これは85歳でその生涯を閉じた蓮月の辞世の句です。蓮月は、二度に渡る結婚と離婚、養父や4人の子との死別という不遇な前半生を過ごしました。出家後は、その目の覚めるような美貌から言い寄る男共を拒み、また蓮月焼の人気から集う来訪者を疎み、引越しを繰り返したと言われています。また、私財は惜しげもなく社会に還元しました。1850年に近畿西国大飢饉が起こった際には、奉行所に匿名で30両を喜捨。1862年頃には、鴨川丸太町に独力で橋に架けました。注目されることを好まず、質素倹約、無私を貫く蓮月は、あの世に安寧の地を求めたのでしょうか。

その人気の故か、真偽のほどは定かではないものの、多くの逸話が残っています。

  • 美貌のために多くの男性に言い寄られるのを疎み、自ら歯を抜いて容貌を醜く変えた。
  • 強盗に入られた際、腹をすかせた様子の盗賊にはったい粉を茶で溶いて与え、また部屋にあるだけの自作の陶器を持たせた。
    翌日、毒死した盗賊が見つかった。知らずに与えたはったい粉は、勤王派ともいわれた蓮月の命を狙う刺客が送ったものだった。
  • 戊辰戦争の折り、江戸に向けて京を発した官軍が三条大橋に差し掛かった時、西郷隆盛にある歌の書かれた短冊を渡した。
    “あだみかた 勝つも負くるも哀れなり 同じ御国の人と思へば”この歌に感銘を受けた西郷隆盛は、武力による江戸攻略の考えを改め、これが後の江戸無血開城につながった。

蓮月は、越後の貞心尼、加賀の千代女と共に、幕末の日本三大女流歌人の一人に数えられています。自詠の歌を刻み付けた急須、徳利、皿、鉢、杯、茶碗、花瓶などの焼き物は現在も多くのファンを引き付けてやみません。またその若き日の面影は、京都三大祭の一つ、時代祭を彩る「江戸時代婦人列」の中に登場する蓮月に扮した女性から偲ばれます。

蓮月在りし日に思いを馳せながら、今回の展示会をお楽しみください。

日時: 平成29年4月22日(土)・23日(日)
午前10時~午後5時 【入場無料】

会場: 株式会社縁
美 想 空 EN art gallery & space
大阪市中央区南船場4-8-6 渕上ビル9F

今回のテーマは「大田垣蓮月」です。
不遇な境遇にも負けず、独創的な和歌や焼き物で人々を魅了した
幕末の美貌尼、大田垣蓮月の作品を取り揃えました。
また会場では、蓮月焼の急須で淹れた煎茶をご賞味いただけます。

9F展示会場には見晴らしの良いテラスがあり、新緑の美しい楓が一本ございます。蓮月作品と都会のビル群、自然の緑のコントラストを感じながら、縁の世界観をお楽しみ下さい。