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【売約済】掛軸<金子堅太郎>書「泰西教育~」平生釟三郎宛て書簡付属(HP1104)

  • 作家金子堅太郎
  • 時代明治・昭和前期
  • 全体〇掛軸
    縦221cm×横61cm
    〇付属書簡
    縦27cm×横120cm
  • 内寸〇掛軸
    縦148cm×横47cm
    〇付属書簡
    縦20cm×横27cm
  • 本紙紙本
  • 状態状態は標準的です。br>シミ、折れ、ヨレがあります。
  • 付属品箱有り
  • 価格売約済

【金子堅太郎】1853-1942
明治大正昭和初期の官僚。政治家。父は福岡藩士金子清蔵,母は安子。号は渓水。藩校修猷館で学んだのち,明治3(1870)年藩命により江戸に遊学し,英語を学ぶ。4年旧藩主黒田長知の留学に団琢磨らと随行,岩倉遣外使節団と共に出発した。1878年ハーバード大学で法律学を専攻し,小村寿太郎と寝食を共にした。1878年卒業。級友にはのちの大統領セオドア・ルーズベルトがいた。11年帰国後東大予備門の教員をしながら,共存同衆,嚶鳴社に入会し時事を論じ,目賀田種太郎,田尻稲次郎らと共に夜学で法律を教えた。のちの専修学校(専修大学)である。17年宮中に制度取調局が新設されると伊藤博文の下で井上毅,伊東巳代治らと共に憲法,貴族院令,衆院議員選挙法などの起草に当たった。これ以後,伊藤系の官僚,政治家として農商務,司法各大臣を務め,立憲政友会の創立に参画。日露戦争(1904~05)の際には渡米し世論工作を担当。晩年は枢密顧問官として不戦条約,ロンドン海軍軍縮条約,天皇機関説などを批判するかたわら,『明治天皇紀』編修の中心となった。

【平生釟三郎】1866-1945
明治-昭和時代前期の実業家,政治家。慶応2年5月22日生まれ。昭和8年川崎造船所社長,12年日本製鉄会長。11年広田内閣の文相,15年大日本産業報国会会長となる。貴族院議員,枢密顧問官。大正12年甲南高(現甲南大)を設立した。昭和20年11月27日死去。80歳。美濃(岐阜県)出身。高等商業(現一橋大)卒。

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