掛軸<幸野楳嶺>関羽と周倉図 所蔵品目録所載品(HP1256)
- 作家幸野楳嶺
- 時代明治
- 全体縦211cm×横54cm
- 内寸縦116cm×横40.5cm
- 本紙絹本
- 状態時代を考慮して状態は標準的です。
シミ、折れ、浮きがあります。 - 付属品極箱(幸野西湖)・二重箱・目録
- 価格150,000円(税込)
【幸野楳嶺】1844-1895
明治時代の日本画家。天保15年3月3日生まれ。名は直豊、幼名は角三郎、字は思順、号は楳嶺、他に鶯夢、長安堂、青龍館、六柳北圃など多数。中島来章,塩川文麟らにまなび,花鳥画を得意とした。明治13年京都府画学校の設立に参加。竹内栖鳳,川合玉堂,上村松園らをそだてる。明治28年2月2日死去。52歳。
【幸野西湖】1881-1945
日本画家。京都生。名は円次郎。楳嶺の次男、兄は日本画家の森本東閣。父及び竹内栖鳳に学ぶ。日本絵画協会第三回絵画共進会で二等褒状を受けた。昭和20年(1945)歿、64才。 雅号:直誠、子至、晩成楼主人、春廼家、凌雪園主。
【関羽】?-220
中国後漢末期の将軍。字は雲長。元の字は長生。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)の人。子は関平・関興。孫は関統・関彝。蜀漢の創始者である劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじた彼は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。後漢から贈られた封号は漢寿亭侯。諡が壮繆侯(または壮穆侯)だが、諡号は歴代王朝から多数贈られた。
【周倉】
『三国志演義』『三国志平話』『花関索伝』『山西通志』『関大王独赴単刀会』『聊斎志異』に蜀漢の武将として登場する架空の人物。古典劇目の『走麦城』、『収周倉』、『収関平』で字は元福。両腕に1千斤の怪力があり、鉄板のような厚い胸板に、渦を巻くような形の縮れ髭の容姿であるという。関羽の側近として有名なため、実在の人物ではないにもかかわらず、湖北省当陽県麦城村(当陽市南東30km)には墓が建立され、関帝廟には関平と共に関羽の従者として祭られている。中国や華僑の居住地では、現在でも信仰の対象とされている。
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