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掛軸<乃木希典>書「将師之為~」(HP1453)

  • 作家乃木希典
  • 時代明治
  • 全体縦214cm×横45cm
  • 内寸縦146cm×横34cm
  • 本紙絖本
  • 状態状態は標準的です。
    シミ、折れ、浮き、本紙にヨレがあります。
  • 付属品極箱(一戸兵衛・黒木安雄)
    極書き(伊豆凡夫)
    二重箱
  • 価格50,000円(税込)

【乃木希典】1849-1912
明治時代の軍人。嘉永2年11月11日生まれ。長門(山口県)府中藩士の子。明治4年陸軍少佐となり,西南戦争に従軍。歩兵第一旅団長,台湾総督などをへて,日露戦争では第三軍司令官として旅順攻撃を指揮。37年陸軍大将,40年学習院院長。明治天皇大葬の日の大正元年9月13日,妻の静子とともに殉死した。64歳。号は静堂,石林子,石樵など。

【一戸兵衛】1855-1931
明治大正期の陸軍軍人。弘前藩士の子。号甲岳。明治7(1874)年20歳のとき故郷を出奔,陸軍兵学寮内の戸山学校に入学。西南戦争(1877)に従軍して負傷。以後,主に部隊勤務を中心に累進,日清戦争(1894~95)時は少佐,大島混成旅団先発隊として戦う。明治34年少将。日露戦争(1904~05)では金沢の第6旅団長を務め,第3軍にあって旅順攻略戦に参加した。特に第2回旅順総攻撃では,のちに一戸堡塁と命名された盤竜山P堡塁の奪取に成功,同攻撃中唯一の戦果をあげ勇名を轟かせた。戦後,第1師団長などを歴任,大正4(1915)年大将に昇進後,教育総監に就任。日清戦争後から将校教育に熱心であり,人格的にも適任であった。大正9年後備役。以後,現役時代に兼任していた学習院院長および明治神宮宮司,帝国在郷軍人会会長などを歴任した。乃木希典との友情は有名。

【黒木安雄】1866-1924
慶応2年那珂郡吉野上村(現まんのう町吉野)に生まれる。父茂矩は藩校の教授をつとめた漢学者であった。長尾雨山とは東京帝国大学古典講習科の同期生で,同校卒業後は香川県師範学校に奉職し,明治35年に香川県工芸学校(現県立高松工芸高校)の第二代校長に就任。在任中の卒業生である野生司香雪とは,インド滞在時に書簡のやりとりをしている。その後東京帝国大学や東京美術学校で講師をつとめた。詩書を通じて乃木希典や犬養毅(木堂)とも親交があった。明治36年には源平合戦総門碑(現高松市牟礼町所在) の撰文と揮毫を手がけている。欽堂・武卿と号した。

【伊豆凡夫】
陸軍少将・富国徴兵保険会社取締役。文久4年(1864)福岡県生。号は蘿山・非佛居士。日清・日露両戦争で軍功をあげる。また書を能くした。歿年未詳。

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