疫病との闘いの歴史 その③ 【人類が勝利した唯一の感染症】

大卍犬太です。
 
関西3府県の緊急事態宣言が本日解除、北海道と首都圏の1都3県のみが継続の見通しとなりました。
 
史上初の緊急事態宣言の発令前後には、日本も感染爆発に向かってしまうのかと戦々恐々としていましたが、日を追うごとに感染症に対する危機意識が共有され、いわゆる「新しい生活様式」も私たちの身に馴染んできている昨今ですね。
 
新型コロナウイルスとは、人類は今後ずっと付き合っていくしかないといった専門家の意見も聞かれますが、それもそのはず。実は人類史上、その存在を根絶できた感染症はただひとつしかないのです。
 
それが、天然痘
 
天然痘ウイルスに感染すると、1~2週間程度の潜伏期間を経て発症。40℃前後の高熱に見舞われ、全身に発疹が拡がります。それが徐々に膿疱(のうほう、膿がたまったできもの。ニキビもこの一種)となりますが、それは体の表面のみならず内臓にも同じように現れ、重篤な場合は肺の損傷による呼吸困難に陥り、死に至ります。
 
また、回復した場合でも、膿疱がかさぶたとなり、それが落下した後がくぼみとして残ってしまいます。「あばたもえくぼ」ということわざがありますが、あばたは漢字では「痘痕」と書き、天然痘の痕(あと)のことなんですね。
 
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定説では、天然痘の起源はとても古く、インドでは紀元前2000年の仏典にその記述があるとされ、エジプトで見つかった紀元前1157年のミイラにその痕跡があるとされてきました。
 
ところが、近年の研究ではこの説に疑問が生じており、実は16世紀末に発生したのではとの新説が唱えられているようです(参照:NATIONAL GEOGRAPHICの記事)。3~4000年はあるとされてきた歴史が、わずか400年程度まで縮まると、通説とされてきたことがかなり覆ってしまいます。
 
日本の疫病は、6世紀の仏教の伝来と共に朝鮮半島からもたらされたとされており、都が奈良にあった天平年間(729~749)には天然痘の大流行や、政変や反乱、天災、飢饉などに度々見舞われ、国の平安を願った聖武天皇の発願により、東大寺の大仏が造られたとされてきました。
奈良の大仏
でも、この時流行したのは、実は天然痘ではなかったのかもしれませんね。
 
(ただ、直近に書かれた記事を見ても定説の方が引用されていますので、そちらを支持する見解が依然大勢を占めるのには違いないようです。)
 
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世界でも死に至る病気として恐れられていた天然痘の解決の糸口となったのが、イギリスの医師エドワード・ジェンナーによる人類初のワクチンの発見です(1798年に発表)。
 
当時イギリスの農村では、牛の乳搾りをしている人が牛痘(牛の天然痘に似た病気)に一度感染すると天然痘にはかからないといううわさがありました。この話をヒントに、牛痘にかかった人の膿疱をまだ天然痘にかかっていない人に注射して、体内で天然痘の抗体を作らせ予防するという方法を確立したのです。このジェンナーの功績を称え、ワクチン(vaccine)という言葉は、ラテン語で雌牛を意味する”vaca”から名づけられたそうです。
 
そして、ジェンナーの発見から約200年後の1980年、世界保健機関(WHO)により天然痘の根絶が宣言されました。
 
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さて、現在の新型コロナウイルスの感染拡大予防のための政策には、各国温度差があります。
 
ロックダウンと濃厚接触者の徹底追跡がなされる国々や、日本のように店舗営業と外出を自粛ベースで呼びかける比較的ゆるい政策。はたまた集団免疫の獲得を念頭においたほぼ野放しの政策。そして、やっとのことで抑え込められたと外出禁止令を解いた直後にクラスターが発生してしまう国々・・・。
 
世界は、感染拡大と経済への影響、どちらも抑えたいという相反する命題を同時に突きつけられ、模索を続けています。一日も早い抜本的解決策であるワクチンや特効薬の開発が望まれますね。
 
大卍犬太でした。