うるう年に挑戦!?四国八十八か所巡りの「逆打ち」

スタッフの C・K です。
 
今年はうるう年ですね。
うるう年といえば、オリンピックです。(来年に延期されましたが・・・・・)
 
でも、オリンピック以外にも、うるう年にしかないイベントはあります。
それは 四国八十八か所巡りの逆打ち です。
 
皆様ご存じの四国八十八か所巡り・・・・
これには「順打ち」と「逆打ち」というものがあるということはご存じでしょうか?
 
お遍路で札所をお参りすることを「打つ」といい、「順打ち」とは、一番札所の竺和山霊山寺から二番、三番・・・と、八十八番札所の大窪寺まで、順にまわることをいいます。皆様が四国八十八か所巡りといわれて、パッと思いつくのはこれかと思います。
 
逆に、八十八番札所の大窪寺からスタートし、八十七番、八十六番・・・・・と、一番札所の霊山寺までまわることを「逆打ち」といいます。一般的な「順打ち」に比べて歩きにくく、厳しい道のりであることから、功徳が大きいといわれています。
 
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この逆打ちを初めて行ったのは、天長年間、伊予の国(愛媛県)の長者・河野衛門三郎といわれています。
 
あるとき、三郎の家の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとしました。三郎は家人に命じて追い返します。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れ、八日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は八つに割れてしまいます。僧も姿を消しました。
 
実はこの僧は、弘法大師でした。
 
三郎には八人の子がいましたが、その時から毎年一人ずつ子が亡くなり、八年目には全員亡くなってしまいます。悲しみに打ちひしがれていた三郎の夢に弘法大師が現れ、三郎はやっと僧が弘法大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔します。
 
それから三郎は自分の悪行の許しを請うため、弘法大師の後を追ってお遍路を始めました。しかし、20回めぐっても大師に会うことができず、21回目にして「逆打ち」を思いつきます。そして12番札所の焼山寺にて、ついに弘法大師と出会い、すべてを許されたといいます。
弘法大師と衛門三郎

(第12番札所 焼山寺の杖杉庵・弘法大師(右)と衛門三郎(左)像)

 
三郎が「逆打ち」を始めたのがうるう年といわれていることから、うるう年に「逆打ち」をすると弘法大師に会えると信じられ、「逆打ち」は4年に一度とされているのです。
 
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こうして由来を知ると、とても興味深いですね。
 
4年に一度の「逆打ち」は「順打ち」の3倍の功徳があると言われます。また、順打ちはどの札所から参っても(例えば、4番、7番、1番のような順)でもよいですが、逆打ちは何年かかろうとも88番から順番に参らなければ逆打ちにはならないそうです。
 
今年は行くことはできなさそうですが、また次のうるう年にはぜひ、巡ってみてください。