疫病との闘いの歴史 その① 【祇園祭の起源とその時代】

お久しぶりです。大卍犬太です。
 
テレビやインターネット、今は何を見ても新型コロナの話題ばかり。
全人類が多かれ少なかれ何らかの影響を受けているという未曾有の事態ですよね。
 
さて、学校で習う歴史は、政権交代や中枢の人物に焦点を当てたものがメインですが、感染症との闘いも有史以前から幾度となく繰り返されてきており、それに着目すると、また新しい視座を与えてくれるものだと実感します。
 
今回のテーマは 祇園祭です。
 
いわゆる3密を避けよう、ということで、数々のイベントが中止されていますが、先日、日本三大祭りの1つである京都の祇園祭のハイライトとなる「山鉾巡行」と、みこしを担ぎ練り歩く「神輿渡御」が中止されることが発表されました(4月20日時点)。
祇園祭
そもそも祇園祭の起源をご存知でしょうか?
 
それは、平安時代の869(貞観11)年6月に行われた、神仏習合の祈祷のための催しである「祇園御霊会(ごりょうえ)」です。
 
当時、自然災害や疫病の蔓延は、その名の通り”疫病”神の祟りや、政変や戦乱で非業の死を遂げた人物の怨霊によって引き起こされる(これよりは後の900年代に入ってからのことですが、菅原道真は有名ですね)と考えられており、それらを鎮めるため祈願したのが、御霊会(863年に行われたもものが第1回とされています)で、そこでは仏教経典の読経や、雅楽や舞、民衆参加の踊りなどが奉納されました。
 
祇園御霊会は、疫病の蔓延が、祇園社(今の八坂神社)の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)の怒りによるものだとされ、それを鎮めるために行われました。そして、当時の日本を形づくっていた66の律令国の数にちなみ、諸国の悪霊を集めたとする66本の鉾を立て、厄払いをしました。これが現在の山鉾の数として引き継がれています。
 
ちなみに同年7月には、2011年の東日本大震災と同じ、東北の三陸沖を震源とした、マグニチュード8.3にも及んだとされる大地震、貞観地震が発生しています。
 
その他にも、この貞観期(859~877年)前後には、各地で地震が頻発し、九州では隕石が落下、富士山や阿蘇山の噴火、さらには朝鮮半島からの海賊の来襲、応天門の変という政変、干ばつに水害など、日本は幾多の大惨事に見舞われています(南海トラフでの巨大地震(仁和地震)は、887年に発生しました)。近年の地震の頻発、首都直下型地震、富士山の噴火などが懸念される現状と、貞観期との類似を指摘する学者もいます。
 
科学のなかった1000年以上前の人々の感じていた恐怖は、想像を絶するものと思いますが、度重なる惨事を経てもなお、当時の文化が脈々と受け継がれているという事実に、勇気をもらえるのではないでしょうか?
 
現在の難局を乗り越えた先の将来に何を残せるのか、我々も問われているのだと思います。
 
大卍犬太でした。