担当、ついに(!)有田の地を踏む。

こんにちは。大卍犬太(スタッフD)です。
 
「心斎橋 暮らしのこっとう」で現在、主に扱っております 古伊万里 の器。
 
お客様からも多くを教わりながら(まだまだ未熟ながら)今まで商品知識を蓄えてきたわけですが、その 発祥の地である有田 (佐賀県西松浦郡有田町)には、なかなか行く機会がありませんでした。しかしながら、今回、ようやく訪ねることができました!
 
(昨今の状況もありますので、具体的にいつ、というのは伏せておきます・・・。)
 
ここでは、実際にまわった時系列ではなく、古伊万里(の歴史)について簡単に説明をすることを主軸に、現地で撮った写真を並べてみたいと思います。
 
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まず、日本初の磁器として伊万里焼が生まれたきっかけは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592~1593、1597~1598)。これは「やきもの戦争」とも呼ばれるように、秀吉が亡くなり日本へ撤退してくる際に、西国の諸大名が多くの朝鮮人陶工を連れて帰ってき、彼らの技術によって新たな焼き物が数多く生み出されました。その1つが伊万里焼だったのですね。
 
そこでまずは、佐賀県の北端に、朝鮮出兵の拠点として築かれた 名護屋城跡 。建物は現存していませんが、遺構が残されており、歩いて見てまわることができます。
名護屋城跡
天守閣跡の場所から北西に向かって海を望みます。中央より右のふたこぶの島は松島という島だそうですが、その向こうに平坦に見えているのは壱岐です。さらにその先に対馬や朝鮮半島があるのですね。
 
名護屋城図屏風
敷地内にある名護屋城博物館に展示されていた「名護屋城図屏風」です。
 
築かれた当時、敷地面積は大坂城に次ぐ規模で、またその周囲3kmに渡って120近い諸国の大名が陣を張っていたらしいです。車を運転していたので写真は撮れなかったのですが「伊達政宗陣跡」という名前の信号があったのには「お~!はるばる伊達ちゃんまで来てたのね」と思いました(?)秀吉の、一世一代の作戦だったことが窺えますよねぇ。
 
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そして、鍋島藩の初代藩主・鍋島直茂が連れて帰ってきた朝鮮人陶工の李参平が、有田の 泉山 で、原料となる良質の磁石鉱を発見。これが1616年の、日本初の磁器誕生につながりました。
泉山磁石場

(国指定史跡・泉山磁石場)

 
焼き物を焼くための窯は、すこし前の16世紀後半に唐津で初めて導入されたとされている「登り窯」。山の斜面に沿って、階段状に何個も焼成室を並べるという構造で、写真の天神森窯跡と天狗谷窯跡は、有田でも 最初期の窯 があったところなのだそうです。
天神森窯跡

(天神森窯跡)

天狗谷窯跡

(天狗谷窯跡)

と言っても、今残ってるのは斜面だけなので、あまりピンと来ませんよね・・・。
 
ちなみに、李参平の直系の子孫である14代目が現在も作陶をされているそうで、彼が有田の町を歩いて解説するYouTubeチャンネルがあります。動画の中で、この天神森窯跡では、子供の頃ダンボールで”草スキー”していたっていうお話をされています (こちら にて。YouTubeが開きます)。
 
とてもエモくてジワる佐賀弁でのローカル話・・・古伊万里ファンの皆さんはぜひチャンネル登録を!
 
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少し話が逸れましたが、続いては、有田中心部の見どころをいくつか。
染付有田皿山職人尽し絵図大皿
これは、佐賀県指定重要文化財になっている 「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」 。有田陶磁美術館に所蔵されており、古伊万里の制作風景が工程ごとに描かれているお皿なのですが、古伊万里の解説本には必ずと言っていいほど出てきます(本物が見れてちょっと感動)。右ななめ上あたりに泉山が描かれていますね。
 
有田には、有田焼を代々焼いている窯元・製陶所が数多く立ち並んでいますが、中でも有名なのは 柿右衛門窯 ですよね~。
柿右衛門窯
初代・酒井田柿右衛門が、色絵や赤絵と呼ばれる、素地に釉薬をかけて焼成した白磁や染付の上に赤やその他の色彩で絵付けをしてもう一度焼成して制作する様式を、日本で初めて完成させました。
 
そして、珍しい風景、という意味で見逃せないのが、陶山(すえやま 俗に「とうざん」とも)神社。有田の町を一望できる小高い山の上にあり、氏神として窯元や有田の商人たちの信仰を集めてきたそうです。李参平と応仁天皇が主神で、鍋島直茂も奉られています。
陶山神社
狛犬さん
鳥居や狛犬さん、灯篭などが焼き物でできています。
 
この神社が珍しいポイントは他にもあって、神社の敷地内、境内へと向かう階段の途中に線路が通っており、電車が通過していくのです。しかも踏切には遮断機なし!
狛犬さん
車の通らない場所なら遮断機を設置する義務はなく、神様の通り道を遮らないように、ということなのだそうですが・・・。訪れた際には気をつけないとですね。
 
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さて、文中でも有田焼、伊万里焼、古伊万里と、呼び名が混在していますが、その理由について。
 
有田で焼かれたのに伊万里焼と呼ばれたのは、船が主な輸送手段だった時代、伊万里の港から日本全国、そして長崎出島を経て世界に向けて積み出しされたから。現在の伊万里市の市街地には、焼き物の飾りつけや、往時のことを解説した説明書きが随所に見られます。
伊万里焼の飾り
伊万里津の説明
伊万里から海を臨む
伊万里川の最下流にある橋から海の方向を望む。歴史を知って眺めると、何となく感慨に浸れるような。
 
一般的に、明治30(1897)年に鉄道が開通して輸送手段が船から鉄道に移行すると、有田で焼かれた焼き物は有田焼、伊万里で焼かれるのが伊万里焼、と呼ばれるように。そして、それ以前の船で積み出されていた当時のものは「古伊万里」と呼んで区別するようになりました。
 
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現在、伊万里焼と呼ばれる焼き物の窯元は、伊万里市街地から車で10分ほどの山間の地区、大川内山(おおかわちやま) に集まっています。
 
江戸時代、このエリアでは、有田から選抜され連れて来られた優秀な陶工たちが、鍋島藩直轄とされた窯で将軍家や諸大名への献上品として最上手の磁器、いわゆる 鍋島焼(鍋島様式の古伊万里)を焼いていました。
 
その技術は門外不出ということで、関所が設けられ、人とモノの往来は厳しく制限されていたそうです。
大川内山関所
大川内山の町並み
こじんまりとしたエリアに、いくつもの窯元が立ち並び、まさに焼き物の里の風情。
陶工無縁塔
急にお墓!?・・・これは「陶工無縁塔」といい、朝鮮から連れて来られ、二度と故郷の土を踏むことなくこの地で一生を終えた無名の陶工たちを供養すべく、点在していた880もの墓石を集めて大正時代に作られたものだそうです。光のウラには必ず影が・・・。シミジミと手を合わせました。
 
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この記事の最後に、古伊万里に関する情報が集約されており、ファンならマストな場所のご紹介。それは、JR有田駅にほど近いところにある 佐賀県立九州陶磁文化館 です。
焼き物の制作工程
有田磁器の銘のいろいろ
ここに来れば焼き物の全てがわかる・・・いや、正直一度では消化し切れない程の情報量。近所にあったら通いつめるのに~。
 
ここで絶対に見逃せないのは「柴田夫妻コレクション」。実業家だった夫妻が生涯をかけて収集し、九州陶磁文化館に寄贈した膨大な数の古伊万里が、制作年代順に並べられて展示されており、作風の変化がわかるようになっています。
柴田夫妻コレクション01
柴田夫妻コレクション02
柴田夫妻コレクション03
本当に貴重。まさに実物で作られた年表に入り込んだような空間は圧巻でした。
 
ちなみに、資料てんこ盛りの九州陶磁文化館は、入場無料(!)で撮影し放題。ほんまに太っ腹がすぎますぜ、兄貴。
 
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担当の有田(と伊万里)探訪。今回はここまで。
 
日々の疲れを癒しに行く旅行といった場合には、その土地の歴史背景などを詳しく調べてから行くことってあまりないと思いますが、今は限られた場所で楽しむことが余儀なくされる状況。最大限その深みと厚みを増すために、少しだけ予備知識を蓄え、現地でそれをさらに深める、という形もアリなのではないでしょうか?
 
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。大卍犬太でした。
 
 
※古伊万里はヨーロッパにも輸出され、陶磁器製造に影響を与えていた!
   昨年訪れたドイツ(マイセンなど)でのお話は こちら
 
 
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