★こっとううんちく【大聖寺伊万里についてまとめてみた】(うんちくカード掲載)

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こっとう☆うんちく…その33
 
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【大聖寺伊万里についてまとめてみた】
 
まぎらわしい
でも、ウソ・大げさ
ってことはない

 
 
こちらの豆皿、裏側に「九谷」と書かれていますが、商品名としては「大聖寺伊万里」とご紹介しています。
九谷焼 なのか、伊万里焼 なのか、ややこしいですね・・・。
大聖寺伊万里については、こっとう☆うんちく その4 でも解説していますが、今回はもう少し詳しくみていきましょう!
 
「大聖寺伊万里とは」を一言で表現してみますと、「大政奉還の年でもある1867(慶応3)年、加賀藩の支藩であった大聖寺藩が、京焼の陶工・永楽和全(えいらくわぜん)を招聘したことを起源とし、現在の石川県加賀市のエリアで明治~大正頃(昭和と言われている場合も)にかけて制作された、主に元禄時代頃の染錦手の古伊万里を写した九谷焼の呼称」です。
ですので、本質的には九谷焼 で、ニックネームが大聖寺伊万里 といったところでしょうか。
 
『写し』を和歌の用語で、有名な古歌を一部取り入れて歌を作るという意味の「本歌取り(ほんかどり)」とも表現され、大聖寺伊万里の技術力の高さ、緻密に描き込まれた見込みの美しさから「本歌をしのぐ」などとも言われます。
 
『古伊万里の写し』ということなので、古伊万里と明治以降に作られた大聖寺伊万里の見分け方のコツとしては、大聖寺伊万里は ①染付の色が明るい ②高台の畳付きが鋭角 ③書かれた文字が達筆 などが挙げられます。
 
①染付の色が明るい
この点は、こっとう☆うんちく その9 で解説しています。
明治以降、輸入された人造のコバルトを含む顔料(通称、ベロ藍)が焼物に用いられ、大聖寺伊万里の染付の色は明るい紺色のことが多いです。
(明治3年にドイツから輸入されたとされていることが多いのですが、実際にはそれ以前の江戸時代にも入ってきており、葛飾北斎や安藤広重も浮世絵の制作に使用したそうです。)
 
②高台の畳付きが鋭角
「高台」とは器の底に付けられた脚の部分のことで、置いた時に床に接する部分は「畳付き」(釉薬が乗っていない部分は「土見せ」)と呼ばれますが、古伊万里の場合はなだらかで丸い成形がなされているのに対し、大聖寺伊万里は高台が若干内側に斜めに付けられ、畳付きの部分がシャープな形状になっています。
 
③書かれた文字が達筆
古伊万里の器を裏返すと、中国磁器の写しとして「大明成化年製」などの文字が書かれていることがあると、こっとう☆うんちく その15 で解説しました。
大聖寺伊万里にも書かれていることがあるのですが、古伊万里の作られた江戸時代の陶工は漢字の知識があいまいだったのか、間違っていたり全体のバランスが悪いことが多いのに対し、大聖寺伊万里の場合はきっちり達筆で書かれていることが多いようです。
 
非常にややこしい骨董の見極め。
それには座学と実地の両方が欠かせません。あなたもぜひ #こっとううんちく を読み込んでから、「心斎橋 暮らしのこっとう」へ、GO~~!
 
 
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こっとううんちく【古伊万里に描かれた(おそらく)最古の植物】

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こっとう☆うんちく…その32
 
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【古伊万里に描かれた(おそらく)最古の植物】
 
リゾート感
演出してきた
何億年も

 
 
こちらの器に描かれた2種類の植物。
お花の方は「椿」と分かりやすいですが、もう一方の実のようなものを付けているのは何でしょうか?
 
こちらは「蘇鉄(ソテツ)」。
尖った葉からそう判断しています。塗りつぶされた部分が広葉樹の葉のようにも見え、描かれた実は栗のようにも見えますが、蘇鉄の実を調べてみてください。赤茶色で丸い・・・これ、栗やん(笑)。
そんな南国イメージの植物が、なぜ古伊万里の器に?
 
意外にも思えますが、なんとこのソテツ類の植物は、恐竜がいた2億年前頃のジュラ紀に繁栄し、現存するものはまさに生きた化石。
世界中の熱帯~亜熱帯に分布し、日本の固有種である蘇鉄は九州南部~台湾、中国大陸の南部に分布。日本各地に自生する樹齢が1000年を超えるとされる蘇鉄は、国の天然記念物に指定されています。
まさに長寿、そして実がたわわに実ることから子孫繁栄の象徴とされます。
 
蘇鉄が庭園に植えられたのは室町時代のこと。そして安土桃山から江戸時代にかけて流行し、京都の著名な寺院や各地の大名庭園などに植えられました。
古伊万里の生まれた佐賀(鍋島)藩の初代藩主・勝茂が、1626年の後水尾天皇の寛永行幸に合わせ、京都・二条城に蘇鉄1本を献上したという記録が残っているそうです。
 
古伊万里の蕎麦猪口などにもよく描かれています。
また、有田にある佐賀県立九州陶磁文化館の有名な「柴田夫妻コレクション」の中にも、1670~1690年代のものとされる鶉(うづら)蘇鉄文の染付皿があります。
 
ちなみに蘇鉄という呼び名については、枯れかかった時にその幹に「鉄」くぎを打ち込むと「蘇」るという言い伝えから、などの説があるそう。
 
想像を絶するような長い年月を生き延び、何代にも渡ってたくさんの人々の目に触れ、数百年前に器に描かれた蘇鉄が今こうして私たちの目の前に蘇ってきたわけです。
そう考えると、いかにも感慨深いですね。
 
 
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こっとううんちく【古伊万里にまで十字架って、ラブリ~&ミステリー】

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こっとう☆うんちく…その31
 
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【古伊万里にまで十字架って、ラブリ~&ミステリー】
 
キリシタン
こんなとこにも
隠れてたん?

 
 
この繊細な線描で牡丹と蝶が描かれた器の、見込みの真ん中にある文様が「十字架です」と言うと、信じられますでしょうか?
ポルトガル語でクルスと呼んだことから、クルス文と呼ばれ「久留子」や「来留子」と当て字がされます
キリスト教が日本に伝来した後に改宗した、いわゆるキリシタン大名たちの家紋にも、様々なデザインのクルス文が採用されました。
 
でも古伊万里が作られた江戸時代にはキリスト教は禁教とされ、信徒たちは弾圧されていたはずです。ならば、この器はいわゆる「隠れキリシタン」によって作られたのでしょうか…?
とても興味深いところだと思うのですが、これについて深掘りした文献や資料は現在のところないようなのです。
そこで今回も、見つけうる情報の範囲内で、イマジネーションの翼を広げてみましょう!
 
まず「古伊万里の制作者に、キリスト教徒がいたのか?」です。
 
有田の地で伊万里焼の焼成が始まるのは1610年代のことですが、それ以前の1606年に佐賀(鍋島)藩の藩主、鍋島勝茂の元に初めて宣教師が訪れ、1608年には佐賀城下に教会を建てて布教を開始したというのが、資料的に裏付けの取れる事実とされています。(それ以前にも、実は他の宣教師が佐賀藩領内で布教活動を行っており、1601年の時点で200人のキリスト教信者がいたという説もあるようです。)
しかしながらその後、1612年に幕府が禁教令を発布、翌年には全国にその影響が及びます。そして、佐賀にいた宣教師達も去ることとなりました。
 
ここでもう一点挙げておきたいのは、古伊万里の窯について。
磁器の原料が発見された有田の泉山磁石場と、最初期のものとされる5箇所の窯跡が国の史跡「肥前磁器窯跡」に指定されているのですが、その中の1つ、現在の有田中心地から南東に10数km離れた嬉野市にある、不動山窯跡。こちらは1680年前後30年くらいの時期に稼動していたとされていますが、古文書などの記録はなく、誰がここで制作をしていたなどの詳細は一切不明。
ただ、鍋島藩の隠し窯であったとか、隠れキリシタンとも関係があった、というような説もあるのだそう。好奇心がくすぐられますね。
 
次に「古伊万里の発注者(顧客)に、キリスト教徒がいたのか?」です。
 
制作者の中に隠れキリシタンがいた?と考える一方で、当然このデザインで発注をかけるお客さんがいないと商売は成り立ちません。
17世紀中頃にはヨーロッパを中心に海外へと輸出されていた古伊万里ですが、17世紀末、中国磁器の輸出再開によって市場を奪われると、徐々に国内向け生産にシフトすることになります。18世紀中頃には江戸で外食産業が盛んになり、町民などの庶民層にも古伊万里の磁器の使用が広がっていきました。
 
隠れキリシタンというと、長崎や周辺の島々に限られるようなイメージがあるかと思いますが、キリスト教の布教は日本全国に及び、17世紀初めには30万人を超える信者(当時の日本人の全人口の2%程度)がいたそうで、現在「隠れキリシタンの里」とされる場所も、全国様々なところに点在しています。
例えば、教科書でもお馴染みの重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」が、キリシタン大名・高山右近の旧領であった大阪府茨木市北部の千提寺地区の旧家で発見されて、昨年2020年が100周年だったとニュースにもなりました(現在は、神戸市立博物館が所蔵)。
 
こういった地域の人々が、十字架入りの古伊万里を発注・購入したのでしょうか?
 
今回のうんちくは「クルス文の古伊万里の器は、隠れキリシタンによって作られたのか」について、遠からずも(残念ながら)近からずといった内容でお届けしました。
何かヒントとなる資料等、ご存知の方がおられましたら是非ご一報下さい。
また「それ十字架ちゃうで、全然関係ない模様やで」とのちゃぶ台返しも大歓迎(?)です!
 
 
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こっとううんちく【束ねたリボンは生ものだった!?】

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こっとう☆うんちく…その30
 
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【束ねたリボンは生ものだった!?】
 
これ知って
あなたのドヤ顔
目に浮かぶ
(笑)
 
 
束ねてあるリボンのような文様、こちらは「束ね熨斗」。(たばねのし)
着物では古典的な柄の代表格です。
 
熨斗は、現在ではご祝儀袋などに付いている飾りのことを言いますが、元々は貝であるアワビを薄く剥ぎ、長く引き伸ばして乾かした保存食 のことでした。
ご祝儀袋に付いているものは「折り熨斗」と呼ばれ、紅白の紙を折って作ったものの真ん中に黄色や茶色の細長い紙が挟まっていますが、これがアワビの名残りなのです。
 
古くは神様へのお供えものとして、また江戸時代になると結婚式などのお祝い事の時の贈り物とされました。
長く「伸(の)す」が「延す」に通じ、日持ちもすることから『永続する』『長生き』といった吉祥の意味 を持ち、また束ねていることで『多くの人からの祝福を受ける』、あるいは『幸せを分かち合う』といった意味合いが込められます。
 
ご祝儀袋なんて、お年玉をもらっていた幼少期から幾度となく目にしていたのに、あれがアワビだなんて。あげる立場になった方、ぜひお子様に語ってあげてください・・・嫌われますよ(笑)
 
 
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こっとううんちく【優美かつ想像力の広がる文様】

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こっとう☆うんちく…その29
 
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【優美かつ想像力の広がる文様】
 
器見て
歴史ロマンに
想い馳せ

 
 
こちらの七寸皿、何種類かの模様が適度な余白を残して配され、オシャレな印象ですね。
呉須で描かれているのが 桐文、金泥で描かれているのが 七宝文、では 濃淡2種類の朱色で描かれている葉っぱのようなものは何でしょう?
 
わかりそうでわからない・・・こちらは、杏葉文(ぎょうようもん)と呼ばれます。
 
杏葉とは、晴れの儀式の際に馬を飾った 唐鞍(からくら)と呼ばれる一連の馬具の中の1パーツで、馬の胸と腰のあたりにぶらさげる飾りのこと です。形があんずの葉っぱに似ていることからその名が付いた とされています。
西南アジアから南北朝時代の中国に流入、唐代に流行した後、日本に伝来。平安時代以降、賀茂祭(葵祭)や春日祭でも使われました。
 
植物の桐と一緒に、なぜ馬具である杏葉が描かれているのか?ここからは想像の域を脱しないお話になるのですが・・・。
 
桐も杏葉も、家紋のデザインとして用いられています。
桐文は言わずと知れた、豊臣家
杏葉文を家紋としていたことで有名なのは、文禄・慶長の役の後、朝鮮人陶工の李参平を連れ帰り、伊万里焼誕生のきっかけを作った、佐賀(鍋島)藩の藩祖・鍋島直茂 です。(佐賀県の銘菓に鍋島さまという最中があるのですが、この杏葉文が描かれています。)
直茂は、豊臣秀吉の九州平定に加勢、島津氏の屈服に一役買ったことで評価を得、1589年には豊臣姓が与えられました。
 
さらに、もうひとつの七宝文の「七宝」とは、無量寿経という仏教経典に書かれている七つの宝のことなのですが、これを4分の1ずつ重ねて上下左右に規則正しく連続させる文様を「七宝繋ぎ」といい、四方(「しほう」→「しっぽう」と呼び方が変化した)に無限に広がる輪で、無限に連鎖する 平和や円満を表しています
 
ということで、このお皿のデザインには『秀吉と直茂の蜜月ぶり』、あるいは『両家の繁栄が祈念』されているのかも??
 
こっとう☆うんちくシリーズで初めて、イマジネーションの翼を広げた内容、いかがでしたでしょうか?
決して証明ができるわけではないことだからこそ、ロマンが広がりますね。
 
 
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