こっとううんちく【それは賢者たちの密かな楽しみ】

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こっとう☆うんちく…その23
 
こっとううんちく
 
【それは賢者たちの密かな楽しみ】
 
このご時世
虎渓三笑
(こけいさんしょう)
してみない?
 
 
2019年の初め、堀江のアートショップ&ギャラリー ART HOUSEにて、作家・はせがわはっちさんの絵本「さらじいさん」の原画展が行われ、心斎橋 暮らしのこっとうもポップアップ出店しました。
「さらじいさん」は、はっちさんのおじさんがかつて京都で骨董店を営まれており、そちらでもらったという3人のおじいさんの描かれた古伊万里のお皿がテーマになっています。
 
そして今回、弊社に 入荷したお皿の柄が酷似していたのです!(真ん中の人物が向いている方向や、背景にいるコウモリの数が違うくらい・・・。)
でも、そもそも有田という狭いエリアで焼かれていたお皿。有名な意匠であれば、違う窯や違う絵師によって同様に制作されていたとしても、おかしくはありません。
 
***
 
この意匠の元となったのは、1072年、陳舜兪(ちんしゅんゆ)という人が記した「盧山記(ろざんき)」(廬山の名所旧跡を訪れ著した観光案内書)に描かれたお話、「虎渓三笑」です。
 
虎渓(こけい)は、中国・江西省北部の廬山という山の中にある川のこと。
廬山は1996年に世界遺産に登録された有名な景勝地です。
 
三笑(さんしょう)は、三人が笑う の意味で、その三人とは・・・
慧遠(えおん)- 中国浄土宗の開祖であるお坊さん
陶淵明(とうえんめい)- 詩人
陸修静(りくしゅうせい)- 道士(道教を信奉する人たち)
 
慧遠は、ある時 修行のために廬山に入り、30年はここから出ないぞ、と誓いを立てました。それ以来、来客があった時には廬山の入り口にあたるところにある、虎渓にかかる橋の手前で見送っていました。
 
ある時、二人の友人である陶淵明陸修静が訪ねて来、酒を酌み交わしながらあたりをそぞろ歩き。
陶淵明は、役人としての職を80日で辞め、隠遁して詩を書いていることを、また陸修静は、道士となってからは俗世から離れ隠居生活を送っていることを話しました。
そう、3人とも浮世の喧騒はこりごり、という共通認識があり、お話がたいそう盛り上がった んですね。
 
お話に夢中だった3人は、虎が吠える声でふと我に帰ります。するといつのまにか、虎渓にかかる橋を超えてしまっていた のです。
「あれぇ~?慧遠くん、廬山からは出ないってあれほど言ってたのにぃ~」と、皆で大笑い したのでした。ちゃんちゃん。
 
***
 
3人の生没年が合わないので、これは作り話だとされますが、古くから東洋画の画題としてよく取り上げられてきました。
日本では禅宗が広まった室町時代以降、水墨画に描かれるように。
雪舟(室町後期)、曽我直庵(安土桃山~江戸初期)、狩野山楽(安土桃山~江戸初期)、池大雅(江戸中~後期)などの作品があり、アメリカのボストン美術館には、江戸時代、曽我蕭白が描いた「虎渓三笑図屏風」が所蔵されています。
 
こっとう☆うんちく その20で解説した「竹林の七賢」も、世俗を離れた賢者たちが登場しましたが、政情の安定しない時代には、隠遁することが礼賛されていた のですね。
また、自然万物と一体化することが悟りを開くことだとする禅の思想にもつながり、武士の時代にもてはやされていたのだと想像します。
 
***
 
この虎渓三笑という言葉、四字熟語としての意味は「あることに熱中するあまり、他のことを忘れてしまうこと」で、例えば、”鬼滅の刃を読んでいたら面白すぎて、虎渓三笑、ご飯食べるのも忘れちゃってたよ”というように使います。
 
今まで普通にできていたことが規制されてしまい、生活が一変してしまった方もいることでしょう。楽しみも奪われてしまったかもしれません。新たに「虎渓三笑」できることが見つけられたら、それは幸せなことですね。
こんな時だからこそ、前向きな気持ちでいたいものです。
 
 
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こっとううんちく【かわいいだけじゃない蝶々】

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こっとう☆うんちく…その22
 
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【かわいいだけじゃない蝶々】
 
アナスイも
びっくり仰天!?
古い意匠

 
 
古伊万里の器には、色とりどりで可愛いだけでなく吉祥の意味が込められた文様 が多く描かれますが、こちらの七寸皿で目を引く「蝶」もその一つです。色とりどりで、今の感覚でも十分オシャレに感じてしまいますね。
 
掛軸にも描かれる「猫と蝶」は、耄耋図(もうてつず)と呼ばれ、長寿を願うおめでたい画題 とされますが、これは中国語で「猫māo」が70歳を表す「耄mào」と、「蝶dié」が80歳を表す「耋dié」と発音が似ているから。
前漢(紀元前206~8年)にまとめられた儒教の経書「礼記」(らいき)にも、その記述があります。蝶が長寿を表す とは意外ですよね。
 
とても古くから縁起がいいとされた蝶文様が日本に伝えられたのは奈良時代で、その優美さから、平安時代には公家の装束や調度品に描かれる有職文様とされました。
また蝶の中でも揚羽蝶が、平家の家紋となります。
戦国時代になると武士が兜や鎧に好んでつけるようになりますが、これは さなぎから羽化する姿が、死からの再生を連想させる からだそうです。
 
同じ生き物の文様でも、言葉や時代によってどんな「縁起よさ」を見出すかが異なるのが、興味深いですね。
 
 
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こっとううんちく【ユニークな形にユニークな呼び名】

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こっとう☆うんちく…その21
 
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【ユニークな形にユニークな呼び名】
 
この形
ブルース・リーも
愛でていた
(?)
 
 
以前、「望料」(もうりょう)という形状の蓋付き碗をご紹介しましたが、今回の形状にも独特な呼び名があります。
そば猪口もこの碗の影響で作られたものがあります。
 
それは・・・「広東形」(かんとんがた)。
 
高台(底に付けられた円形の”足”の部分)が高く、胴の部分が逆さにした台形のような形状
なぜこれが広東形と呼ばれるのかといいますと、18世紀の中国清朝で作られた磁器で 広東の港から輸出された雑器を「広東焼」と呼び、その形状に影響を受けた から。
江戸の天明期(1781~89年)から文政期(1818~1830)頃までの一時期流行し、盛んに作られたそうです。
 
これだけ制作期間が形状ではっきりしているものも珍しいのではないでしょうか?
 
※ちなみにブルース・リーというのは「広東」だからというだけで、直接関係はありません。「香港形」ではないので、ご注意を(笑)
 
 
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こっとううんちく【新たな価値を生む伝言ゲーム】

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こっとう☆うんちく…その20
 
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【新たな価値を生む伝言ゲーム】
 
ネットない
時代が生んだ
奇跡のデザイン

 
 
手前2つのお皿の中心に描かれた模様が何だかわかりますか?・・・と質問しておきながら、右上のお皿に答えがあります(笑)。
そう、ザクロ です。
 
桃や葡萄など、吉祥の意味を込めて古伊万里の器に描かれる果物はいくつかありますが、ここまで 抽象化・パターン化 されたものはあまりないのではないでしょうか?
 
原産地としては諸説あるようですが、メソポタミアの地域やペルシアでは紀元前8世紀頃からその文様が描かれ始めたようです。
種子の多さから 豊穣や繁栄を願うもの とされてきたのは、古今東西を問わず。
しかし、そのザクロの文様が、東西で違うものに変貌 を遂げて行きます。
 
まず 東方の中国 には、実と共にツタや葉の描かれた、海石榴華(かいせきりゅうげ)という唐草文様のひとつとして伝わり、元の時代の青花磁器(染付磁器)には「牡丹」唐草 としてよく描かれました。
確かに赤い実がなっている様子が、お花のように見えなくもないですね。
 
一方、西方のヨーロッパ では、人気を博していた中国磁器や日本の古伊万里の後を追い、18世紀初めにドイツでマイセン磁器が誕生しました。
1739年、青色の着色材が発明され、中国磁器のザクロ文様を模倣して絵付けがなされて生まれたのが「ブルーオニオン」
現在では色々なブランドで人気のデザインですが、当時のドイツでは知名度の低かったザクロを、玉ねぎと間違えたのがその始まりとされています。
 
ネットのない時代の「ザクロ」の伝言ゲーム が、世界中の職人の想像力によって 新たな価値 を生んでいったのですね。
 
 
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こっとううんちく【それは賢者たちの密会】

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こっとう☆うんちく…その19
 
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【それは賢者たちの密会】
 
密ですよ!
てか、3密どころか
7密やん

 
 
古伊万里の器の柄として人物が描かれていることもよくありますが、竹やぶの中に佇むおじ様たちと言えば「竹林の七賢」(ちくりんのしちけん)。
「7人の賢人たち」ですが、実際には7人も描かれていない場合もあります。
 
この7人は、3世紀、中国の三国時代の魏(220-265)の末期~西晋への交代期頃に 竹林に集まり、乱世の世俗から離れ酒を酌み交わして清談(世俗と関係のない哲学的な議論)にふけった隠者たち とされています。
 
彼らは実在した人物で、山濤(さんとう)、阮籍(げんせき)、劉伶(りゅうれい)、嵆康(けいこう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)、王戎(おうじゅう)の7人。
それぞれ思想家・文学者・政治家などとされています。
ただ、生没年や住んだ土地が異なり、隠者として一堂に会したというのは史実ではありません。
(後の5世紀前半に編纂された「世説新語」という、知識人たちのエピソード集に登場し、二者三者同士、友人関係にはあったとのことです。)
 
では、「この7人は何のくくりですか?」と言いますと…
 
それは「政治理念の根本とされた儒教・儒学に代わり、老荘思想(後の道教につながる)の実践を行った」人たちなのです。
 
仁義を根本とする道徳の実践を説いた 儒教・儒学
前漢の武帝の時代(前141~前87)以降、国学とされ長きに渡って政治や生活の上での規範とされてきましたが、政争・国家の興亡の繰り返された乱世の時代において、その地位が揺らぎます。
権力者たちは儒教の精神を偽善的に利用し、形式的には礼儀を示しながら、実際には他人を貶め地位の奪取を行いました。
この7人は、こうした世相を批判し、作為のない自由奔放な振舞いと酒を隠れ蓑に、政争から距離を置いて、乱世を生き延びようとした とされます。
 
老荘思想とは、人為を否定。人間を宇宙の一部と見なし、万物の流れに身を任せ、無為自然に(あるがままに)生きることを是とする思想です。後に成立する道教の思想の源流となりました。
また、インド発祥の仏教の経典を訳す際に老荘思想の概念が当てはめられたため、中国での仏教の普及にも大きな影響を与えました。例えば、「空」を「無」と訳すなど。
 
ちなみに「竹林七賢図」は、日本では室町時代以降、主に水墨画の画題として好まれ、雪村、雲谷等顔、海北友松、長谷川等伯、曾我蕭白、円山応挙など、日本の美術史に名を残す錚々たる画家たちに描かれています。
 
いかがでしょうか?器にかわいく描かれた人物に、深く長い思想の歴史が隠されていたなんて。
7密おじさんたちのレット・イット・ゴー(ありのままで、だけに 笑)は、皆様の心に響きますでしょうか?
 
 
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