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スタッフによる骨董うんちく話★
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こっとう☆うんちく…その15
【大明成化年製】
コピー品
いい感じに盛る
魔法のことば
古伊万里の器を裏返し、この文字が書かれているのを見かけられたことのある方は多いと思います。
文字通りの意味は「偉大なる明の成化帝の時代に作られたもの」ということ。中国の明朝の第9代皇帝、成化帝の在位は1464~1487年で、日本で言えば室町時代にあたります。
なので、めちゃめちゃ古い時代のものやん!っと興奮しちゃうあなたは、あせりすぎです(笑)
日本初の磁器である伊万里焼が完成したのは、江戸初期。
これは朝鮮人陶工によって作られたのが定説ですが、この元となる、世界で初めて染付磁器を生み出したのは中国です。白地に青の絵付け、ということで「青花」と呼ばれました。
「青花」は、元の時代の後期(1351年)には景徳鎮窯で確立していたとされ、その後、明の成化年間に作られたものが品質的に最高のものとされました。
「偉大なる明の~」という言葉は、この時代の青花磁器への憧れとして、明末期の中国や、日本で焼かれるようになってからも、器に書かれるようになったというわけです。
バリエーションとして、「大明年製」や「成化年製」とのみ書かれたものもあります。
また、「大」が「太」となっているものがありますが、これは職人が間違えたという説や「大」よりもさらに敬意を込めたという説があるようです。
そして「成化」ではない時代が書かれたもの(写真左は「萬(万)暦」ですね)もあります。
「コピー品」と言ってしまうと身も蓋もないですが、実感としてこれが書かれた器には、手が込んでいたりで、いいものが多い気がします。
本家に近づきたいというプロ意識の高い職人がよく用いていたのでは?と考えるのは、持ち上げすぎでしょうか…?
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こんにちは。大卍犬太(スタッフD)です。
先日、京都国立近代美術館で開催されている展覧会「サロン!雅と俗-京の大家と知られざる大坂画壇」を観に行ってきました (2022.03.23 – 05.08 開催。紹介ページ)。
江戸時代、京・大坂・江戸が日本の三都で経済・文化の中心地であったにも関わらず、後世の日本の美術史研究の中で京都と江戸の画壇については活発な議論がなされ、展覧会なども盛んに開催されてきたため一般の注目を集めてきた一方で、大坂についてはその陰に隠れ、文化的な空白の地帯とすらみなされてきた時代があったそうです。
その美術史観に異論を呈し、京都と大坂の画家たちの活発な交流があったことと、その他地域からも文化人が両地域に集まることで形成された「文化サロン」とも呼べるネットワークが形成されていたことに着目し、大英博物館も含めた国際的な協力の中で研究が行われた初めての大規模展覧会とのこと。
大阪を拠点にしております弊社でも、非常に取扱いの多い画家の作品がてんこもり。数・質共にとても充実しており、おススメです。
そこで、こちらの展覧会を観に行かれる前に読んでおくと、すこ~しだけ理解しやすくなるかも?という入門編として、取り上げられていた流派・画家などについて以下で概説してみます。
(会場では撮影は一切禁止でした。以下の絵画の画像は主に Google Arts & Culture より転載しています。説明の便宜上のもので、京都国立近代美術館で展示されている作品ではありません。)
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まず、今回の展覧会で取り上げられた画家たちが活躍した江戸中期頃以前までのお話。
(土佐光信・筆 こちら より)
平安時代の貴族文化の中で発展した大和絵の伝統を受け継ぐ土佐派と、その土佐派の画風に、室町時代に中国から輸入された禅宗文化の1つである水墨画(北宗画)の様式を取り入れ、完成された狩野派。
これらが日本の絵画史における二大流派と言え、後者は権力者の御用絵師としての地位を得ることで江戸時代を通じて画壇の覇権を握りました。
(狩野永徳・筆 こちら より)
江戸前期に活躍した狩野探幽が亡くなると、幕府に好まれる画題に縛られることなどで画風がマンネリ化し、停滞していく狩野派。
一方で、町人文化が花開く時代、それまで描かれなかった庶民の生活を、狩野派を破門された久隅守景や英一蝶などが描きます。また風俗を描き版画として大量生産された浮世絵が庶民の娯楽に。京都では、町絵師だった俵屋宗達が雅な京文化の復権の一翼を担い、琳派の萌芽が見られました。
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そして、今回の展覧会の舞台である江戸中期頃以降。
当時流行し、後世に大きな影響を与えたジャンルとして、長崎派(南蘋派)の影響を受けた写生画と、江戸初期に渡来した黄檗僧の多くが余技として描いた南宗画・文人画があります。
鎖国体制下、唯一海外との交流のあった長崎で生まれた諸画派の総称を長崎派と呼びます。
八代将軍・徳川吉宗(在職:1716 – 1745)が中国古画を求めたものの本国で秘蔵されており入手が困難だったため、その代替として宮廷画家の沈南蘋が招聘され、1731-33年の2年弱の長崎滞在の間に、写生的で精緻な彩色花鳥画の技法を伝えました。そして沈南蘋の直弟子・熊代熊斐の門下であった鶴亭が京坂にその画風を伝えました。
その写生的技法は、近現代の京都画壇までその系統が続く円山派の祖・円山応挙や、伊藤若冲などの大家にも大きな影響を与えました。
南宗画(文人画)は、元々は中国において、職業画家の描いた北宗画(院体画)に対し、儒学の教養を備えた高級官僚(文人)が余技として制作したもので、日本でも町人としての本業の傍ら描かれました。
(与謝蕪村・筆 こちら より)
日本で描かれた文人画を区別して南画とも呼びます。大和郡山藩(奈良)の家老を務めた柳沢淇園などを先駆とし、京都の池大雅や大坂の与謝蕪村などが大成しました。
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この時代、日本全国の画家や文化人たちが憧れて訪ね交流を深めたのが、大坂・北堀江の木村蒹葭堂(けんかどう)の邸宅です(跡地である大阪市立中央図書館に記念碑が立っています)。
幼いころから本草学(薬用となる植物・動物・鉱物などを分類・研究する学問)に興味を持ち、石や貝類などありとあらゆる珍しいものを収集して、日本で初めての博物館を作ったとも言われています。海外にもその名が轟いていたとか。
(木村蒹葭堂像 谷文晁・筆 Wikipedia より)
大岡春卜、柳沢淇園、池大雅、鶴亭に絵を学び、文人画家の一人としても有名。京坂のみならず、備中岡山の浦上玉堂、豊後(大分)の田能村竹田、江戸の谷文晁なども訪ね、親しくしていました。
ところで、ブログタイトルの「三十石船」って何?と思われましたでしょうか?
当時、画家たちも含め、人々やモノが京坂を行き来するのによく使われていたのが、淀川を往来していた船。米三十石積めるとのことで三十石船と呼ばれたそうです。大量のものを運ぶ場合は、人馬による陸上輸送よりも安価だったとか。
展覧会には、伊藤若冲が京都・伏見から大坂・天満橋まで淀川を下り描いた版画作品「乗興舟(じょうきょうしゅう)」(文化遺産オンラインの 紹介ページ)が展示されていました。
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展覧会入門は以上ですが、番外編として、この三十石船についてもう少し。
古伊万里ツウの方なら、三十石船と聞いてピンとくるのが・・・そう「くらわんか」です。
古伊万里の焼かれた佐賀県・有田に隣接する長崎県の波佐見で焼かれ、染付で素朴な文様、ボテッとした厚みのある日用雑器が、三十石船に乗っていた客に小舟(煮売船(にうりぶね)、通称くらわんか舟)で近づいて「飯くらわんか」などと汚い言葉で料理や酒を売る店で用いられたことから「くらわんか碗」や「くらわんか手」の器などと呼ばれます。
伊万里からやってきたということで、当時は伊万里焼と呼ばれ、また混同して扱われていたようです。
(こちら より)
歌川広重の京都の10か所の名所を描いた浮世絵シリーズ「京都名所之内」の「淀川」には、三十石船の乗客にくらわんか舟が近づいて料理を販売する場面が描かれています。
大阪・枚方市にある市立枚方宿鍵屋資料館は、当時三十石船に乗り降りする人たちの宿として使われた町屋をほぼそのまま残す貴重な建物で、発掘されたくらわんか碗などの資料が展示されています。
実は「くらわんか」という呼び名ですが、枚方にあった宿場を中心に上下一里(約4km)付近を通る船に販売していたことから枚方で名づけられたのだそう。これは知らなかった・・・。
長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。三十石船が往来し、京坂の画家が交流していた往時の空気を感じてみたい方は、ぜひ両館を訪ねてみて下さい。
大卍犬太(スタッフD)でした。
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買取部のyoutubeを久々更新!
今回は兵庫県某所にてご依頼のエヌ様より許可をいただき、動画や写真を撮影させていただきました。(2021年4月に撮影したものです)
訪問査定ってどんな感じ?
ご不安を感じていたりどんな人が来るか分からなくて踏み出せないと思っているなら、短い動画なので是非見てみてください。
それでは、私たちのお仕事の一部をどうぞご覧あれ!
思い立ったときがはじめ時!
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バイヤーYです。
タイトルの 白井晟一(しらいせいいち、1905-1983)は、京都生まれの建築家です。
京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)卒業後、渡欧。ドイツのベルリン大学などで建築と哲学を学びました。帰国後、様々な建築を手掛けますが、戦後の合理主義・機能主義的なモダニズム建築が全盛となる中でそれに迎合せず、独特な感性で形而上学的な表現を併せ持つ空間を創出しました。
私が白井晟一に初めて出会ったのは、建築ではなく掛軸で、数年前の地方で行われた競りによる交換会でのことでした。
初めて見た時、氏の号である昏元という署名と印に「顧之居印」とありましたが、現場では調べる隙もありませんでした。力強い書にただならぬオーラを感じ迷わず落札しました。
後から調べてわかりましたが、幼少の頃に黄檗宗の総本山萬福寺に預けられたことがあるそうです。黄檗というと隠元、木庵、即非の黄檗三筆が有名ですが、太く力強い書風が共通しています。哲人建築家とも言われる白井晟一ですが、禅宗である黄檗が幼少期の氏に多大な影響を与えたことがわかります。
それから氏の作品に出会うことはありませんでしたが、松濤美術館 にて「白井晟一入門」(会期は2022年1月30日まで)があるということを知り、先日行ってまいりました。
松濤美術館は、氏が晩年手掛けた建築の中で代表的なもののひとつ。美術館そのものを観せる展示という斬新な試みでした。
敷地自体はそこまで広く無いのですが、全く狭く感じませんでした。限られた中で楕円や曲線を多様し洗練された空間を生み出す白井晟一の創造力には脱帽です。
第二展示室には氏の書の作品も展示がありました。
バイヤーとしては、氏の背景を知ると共に次に作品がパッと出てきた時に備えしっかり勉強できました。
氏に影響を与えた 黄檗宗の墨蹟 や、氏の義兄で一緒に渡欧もしている 近藤浩一路 の作品は弊社でも取扱うことが多いですので、ぜひご注目下さい。
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【縁 本店】
【縁 もみじ店】
お久しぶりです。
nomoriです。
今までブログでは私の好きな好きな画家や作品などを紹介してきましたが、今回は視点を変えて 私が感銘を受けるモノ を紹介したいと思います😊
それは 「雑草」 です。
雑草と言えば、駆除する人からすれば大変な植物ですよね😅
ただ私は「雑草」は凄いと思います。
例えば、背が高く太陽の光も良く浴びる雑草は生き残り、それ以外の草には栄養が行かず枯れてしまう事があります。
生き残る為に必死に高く伸びようとする「雑草」も凄いですが、他の「雑草」も凄いです。
その場所で一番になれないのであれば、別の場所でOnly oneになろうとします。
踏まれても、強い草は公園など子どもたちの来るところに根を張っても生き残り、タンポポは踏まれないように電信柱の隙間に根を張り、必死に生きる。
「雑草」のそういった部分に私は感銘を受けました。
私も器用では無いし、誰よりも勉強が出来るわけではありません。勉強は苦手です(笑)なので、自分は、何事にもがむしゃらに、諦めず、これまでも努力を続けてきました。
「雑草」を見ると私も頑張らないと思うので、自分の場所でOnly oneを目指そうと思わせてくれます。これからも一日一日、一歩一歩、小さな努力を積み重ね精進します。
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さて、話は変わりますが、クリスマスが近づくと息子に「パパの家には、サンタクロースは来なかった」とよく話します。
すると先日、3歳の息子が私の寝床にサンタの格好をし「ホッホッホ」と言いながらプレゼントを持ってきてくれました。
中身は息子のおもちゃの詰め合わせでしたが(笑)
我が家に少し早いサンタクロースがやってきてホッコリしました。
皆様、年末年始のご準備にお忙しいかとは存じますが、健康にはくれぐれもご留意下さい😊