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こっとううんちく【新たな価値を生む伝言ゲーム】

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こっとう☆うんちく…その20
 
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【新たな価値を生む伝言ゲーム】
 
ネットない
時代が生んだ
奇跡のデザイン

 
 
手前2つのお皿の中心に描かれた模様が何だかわかりますか?・・・と質問しておきながら、右上のお皿に答えがあります(笑)。
そう、ザクロ です。
 
桃や葡萄など、吉祥の意味を込めて古伊万里の器に描かれる果物はいくつかありますが、ここまで 抽象化・パターン化 されたものはあまりないのではないでしょうか?
 
原産地としては諸説あるようですが、メソポタミアの地域やペルシアでは紀元前8世紀頃からその文様が描かれ始めたようです。
種子の多さから 豊穣や繁栄を願うもの とされてきたのは、古今東西を問わず。
しかし、そのザクロの文様が、東西で違うものに変貌 を遂げて行きます。
 
まず 東方の中国 には、実と共にツタや葉の描かれた、海石榴華(かいせきりゅうげ)という唐草文様のひとつとして伝わり、元の時代の青花磁器(染付磁器)には「牡丹」唐草 としてよく描かれました。
確かに赤い実がなっている様子が、お花のように見えなくもないですね。
 
一方、西方のヨーロッパ では、人気を博していた中国磁器や日本の古伊万里の後を追い、18世紀初めにドイツでマイセン磁器が誕生しました。
1739年、青色の着色材が発明され、中国磁器のザクロ文様を模倣して絵付けがなされて生まれたのが「ブルーオニオン」
現在では色々なブランドで人気のデザインですが、当時のドイツでは知名度の低かったザクロを、玉ねぎと間違えたのがその始まりとされています。
 
ネットのない時代の「ザクロ」の伝言ゲーム が、世界中の職人の想像力によって 新たな価値 を生んでいったのですね。
 
 
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こっとううんちく【それは賢者たちの密会】

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こっとう☆うんちく…その19
 
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【それは賢者たちの密会】
 
密ですよ!
てか、3密どころか
7密やん

 
 
古伊万里の器の柄として人物が描かれていることもよくありますが、竹やぶの中に佇むおじ様たちと言えば「竹林の七賢」(ちくりんのしちけん)。
「7人の賢人たち」ですが、実際には7人も描かれていない場合もあります。
 
この7人は、3世紀、中国の三国時代の魏(220-265)の末期~西晋への交代期頃に 竹林に集まり、乱世の世俗から離れ酒を酌み交わして清談(世俗と関係のない哲学的な議論)にふけった隠者たち とされています。
 
彼らは実在した人物で、山濤(さんとう)、阮籍(げんせき)、劉伶(りゅうれい)、嵆康(けいこう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)、王戎(おうじゅう)の7人。
それぞれ思想家・文学者・政治家などとされています。
ただ、生没年や住んだ土地が異なり、隠者として一堂に会したというのは史実ではありません。
(後の5世紀前半に編纂された「世説新語」という、知識人たちのエピソード集に登場し、二者三者同士、友人関係にはあったとのことです。)
 
では、「この7人は何のくくりですか?」と言いますと…
 
それは「政治理念の根本とされた儒教・儒学に代わり、老荘思想(後の道教につながる)の実践を行った」人たちなのです。
 
仁義を根本とする道徳の実践を説いた 儒教・儒学
前漢の武帝の時代(前141~前87)以降、国学とされ長きに渡って政治や生活の上での規範とされてきましたが、政争・国家の興亡の繰り返された乱世の時代において、その地位が揺らぎます。
権力者たちは儒教の精神を偽善的に利用し、形式的には礼儀を示しながら、実際には他人を貶め地位の奪取を行いました。
この7人は、こうした世相を批判し、作為のない自由奔放な振舞いと酒を隠れ蓑に、政争から距離を置いて、乱世を生き延びようとした とされます。
 
老荘思想とは、人為を否定。人間を宇宙の一部と見なし、万物の流れに身を任せ、無為自然に(あるがままに)生きることを是とする思想です。後に成立する道教の思想の源流となりました。
また、インド発祥の仏教の経典を訳す際に老荘思想の概念が当てはめられたため、中国での仏教の普及にも大きな影響を与えました。例えば、「空」を「無」と訳すなど。
 
ちなみに「竹林七賢図」は、日本では室町時代以降、主に水墨画の画題として好まれ、雪村、雲谷等顔、海北友松、長谷川等伯、曾我蕭白、円山応挙など、日本の美術史に名を残す錚々たる画家たちに描かれています。
 
いかがでしょうか?器にかわいく描かれた人物に、深く長い思想の歴史が隠されていたなんて。
7密おじさんたちのレット・イット・ゴー(ありのままで、だけに 笑)は、皆様の心に響きますでしょうか?
 
 
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こっとううんちく【その男、孝行者につき】

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こっとう☆うんちく…その18
 
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【その男、孝行者につき】
 
たけのこの
絵に隠された
エエ話

 
 
竹は大地に根を張り、四季を通して青々としている姿が強い生命力を表し、松・梅と並んで縁起物とされていますね。
では、たけのこがなぜ古伊万里の器に描かれているのか、ご存知でしょうか?
それには、古くから伝わる エエ話 が隠されているのです。
 
日本でも、南北朝時代に禅僧によって中国からもたらされ、室町中期以降御伽草子として普及、江戸時代には寺子屋の教材として採用された「二十四孝」というお話。
これは元の時代、郭居敬(かくきょけい)という人が 古代中国における親孝行の特に優れた人物、24人の故事 を集めて編纂した「全相二十四孝詩選」が元となっています。
 
この24人の中の一人、中国三国時代の呉の政治家だった 孟宗(もうそう)の孝行話が、たけのこに関係しています。
幼い時に父を亡くし、年老いた母親と二人暮らしだった孟宗。
ある時、病に伏した母親がたけのこを食べたいと言います。ところが季節は冬。たけのこが生えているはずはありません。孟宗は、母親の願いを叶えたい一心で雪の中を歩き回り、天に祈りを捧げます。
すると、不思議なことにある場所の雪が融け、たけのこが生えてきた のです。孟宗がそれを掘って持ち帰り母親に与えると、たちまち病が癒えて、その後長生きした というお話です。
 
この逸話から、古伊万里に描かれたたけのこ掘りの図は「雪中筍掘図」などと呼ばれます。
雪が積もった冬の風景とわかる場合や、雪輪文でそれを表している場合などがあります。
 
また、写真右の器のように、たけのことクワのみ描かれ、主役の孟宗が不在ながらもこのストーリーを隠喩しているものを「留守文様」といい、着物や刀装具の鍔(つば)などにも多用された表現です。
 
なんとも粋で、深イイお話 じゃあございませんか。
 
 
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こっとううんちく【エピソードで楽しむ骨董】

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こっとう☆うんちく…その17
 
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【エピソードで楽しむ骨董】
 
ユーモラス
絵の裏にある
含蓄よ・・・
(汗)
 
 
古伊万里の器に描かれた絵には、直感でかわいいなと思うものがたくさんありますが、作られた 江戸や明治期の文化・背景がわかると、一段と理解が深まる ものです。
 
この蓋付碗に描かれた「雨模様の中、雷が鳴り、傘を差して逃げ惑う人々」ですが、実は「めっずらし!おもろっ!」だけで終わらないストーリーが隠されているのです。
 
これは、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵・五段目 の一場面。
 
早野勘平(はやのかんぺい)は、山城国山崎にある 妻のお軽(かる)の実家に身を寄せ、猟師をしていました。
ある日夕立に会い、商売道具の銃の火縄を湿らせて困っていたところ、思いがけず 元同僚の千崎弥五郎(せんざきやごろう)が通りががります。
二人は、高師直(こうのもろなお)に切り付けた罪で切腹を命じられた塩冶判官(えんやはんがん)の家臣同士。主君である判官の仇討ちの計画を聞き、勘平はその資金を調達することを約束して、弥五郎と別れます。
そのことを知った妻のお軽は、両親に相談。勘平には内密に、祇園で身売りをすることを決意するのです。
 
お軽の父・与市兵衛(よいちべえ)は、娘を売る証文を取り交わして前金の50両を手に、雨の降る夜道、帰路を急ぎます。
そこに現れたのが 盗賊の斧定九郎(おのさだくろう)。与市兵衛を惨殺し、50両を奪います。ほくそ笑む定九郎。
しかしそれでは終わらず、彼の背後から猪が飛び出し、すんでのところでやり過ごした定九郎の身体を、弾丸が貫きます。
猪を狙っていたのは勘平で、その流れ弾が定九郎に命中してしまった のです。
大変なことをしてしまったと定九郎を抱き起したところ、勘平の求めていた50両があり、期せずして手に入れることができたのです。
 
この 後半の場面が、蓋付碗に描かれています。
3人は、与市兵衛、定九郎、勘平なのでしょうか。3人の立ち位置が少し違う感じもしますが・・・。
 
ところで、この3人の中から1人フィーチャーするとしたら、誰にしますか?
実は、かつて演じた役者の功績で同じような図柄で1人の場合は、盗賊の定九郎 なのだそうです。
江戸時代の歌舞伎役者、初代・中村仲蔵(1736-1790)が初めて定九郎を演じたのが明和3年(1766年)。その妖艶で美しい演技は、それまでのこの悪役のイメージをがらりと変え、後世にも伝わる定九郎像となりました。
古伊万里に描かれるようになったのも、この初演の年以降だと言えるそうです。
 
長くなってしまいました。(汗)を(泣)にしてもよかったくらい、ひとつの器の絵に込められた深い、深いストーリー・・・。
これからも解釈と解説、頑張ります(笑)
 
 
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こっとううんちく【よろけ文様】

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こっとう☆うんちく…その16
 
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【よろけ文様】
 
ぐにゃぐにゃに
ついた呼び名が
あったとは!

 
 
この一見何なのか分からない幾何学文様。
何かの植物なのか?クラゲなのか?はたまたアメーバなのか・・・??
 
これは、よろけ文様 といいます。よろけ縞(じま)文とも。
 
初めにこのお皿の柄を見てしまうとイメージしにくいのですが、元は着物によく用いられる模様で、波打つようによろけた線(波形曲線)が並んだ縦縞模様 のことです。横線は入っていません。
 
これと似た縦縞模様に「立涌(たちわき・たてわく)文」という、2本の曲線の中央がふくれ、両端がすぼまった線が並んだものがあります。
これは、元は水蒸気が立ち上がっている様子を表したもの。
隋などから伝えられた文様を和様化、奈良時代から公家階級の服装に用いられた、有職文様の1つです。
 
突然ですが、『そもそも何で「縞」っていうのか、わかるぅ〜?』
・・・ぼーっとしてると、誰かに叱られそうな質問ですが(笑)
 
「縞」という呼び方にも由来があります。
中世までの日本では 横方向の縞を「段」、縦方向の縞を「筋」と呼んでいました。
室町時代以降、舶来の優れた織物に縞模様のものが多く、南方の島を経由してもたらされたことから、島物の模様 → 縞(しま)模様 と呼ぶようになったそうです。
 
「変わった模様だね」と素通りしてしまいそうなところですが、深堀りすると、人に語れるウンチクが隠されているものですね。
 
 
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