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『心斎橋 暮らしのこっとう』 SNSで不定期に掲載しておりました、スタッフによる骨董うんちく話☆
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こっとう☆うんちく…その2
【くらわんか碗】
くらわんか
商都なにわの
推しやでぇ
江戸時代、経済の中心地大坂と、京の都をつなぐ淀川は、物流の大動脈でした。
その淀川を往来する旅客船(その積載容量から三十石船と呼ばれた)に向けて、「食らわんか」と叫びながら酒や食べ物を販売した小舟を「くらわんか舟」と呼び(高槻が発祥)、食べ物の盛られた生活雑器は「くらわんか碗」と呼ばれました。
厚手でボテッとしており、絵付けの簡素な民芸調の古伊万里の深皿は現在でも俗称としてこう呼ばれ人気がありますが、実は「くらわんか碗」は波佐見焼の専売的な呼称でした。
ただ、波佐見で焼かれた器は、伊万里港から積み出しされ、一般には伊万里焼のブランドとして流通していたことからも、混同が起きた一因があるようです。
【商品詳細】
時代:江戸中期
技法:伊万里
名称:なます皿
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『心斎橋 暮らしのこっとう』 SNSで不定期に掲載しておりました、スタッフによる骨董うんちく話。
また読みたいとのお客様の声もあり、この度こちらのブログでまとめてご紹介させていただくこととなりました!
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こっとう☆うんちく…その1
ぐるぐる模様の呼び名は?
【蛸唐草文】 たこからくさもん
この模様
刻んだゴーヤに
見えてこない?
唐草模様と言えば、泥棒が背負っている緑色の風呂敷に描かれているイメージですが、その原型は古代エジプトの時代にもさかのぼるのだそうです。
うずまき状の植物に葉っぱのついた模様は、10世紀初頭の中国の陶器によく見られ、これが鎌倉時代に日本に伝えられ、タコの足のように見えることから「蛸唐草」と呼び名が付きました。
この蛸唐草文が人気となったのが江戸中期で、伊万里焼にも多く用いられたというわけです。
【商品詳細】
時代:江戸後期
素材:陶磁器
技法:伊万里 染付
名称:なます皿
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ご好評をいただいております弊社バイヤー山中による、『落款一問一答』講座、第三回目です。
今回のお題は……、解説してからのお楽しみ♪
皆さまも一緒に読んでいきましょう。
読み順は右上から、
3 1
4 2
となっています。
まず1番目(右上)。
右側は見たまんま「間」となります。
左の偏に当たる部分は「水」です。さんずい偏です。
「水」単体の場合は、
となりますが、スペースの問題上省略されているという感じです。
さんずい偏はしょっちゅう出てくるので必修です!
次は2番目(右下)。
「雪」です。
雪のヨの真ん中の棒は突き抜けがちですが、気にしない。
そして3番目(左上)。
右側のパーツは「攴」、これも必修!
単体で「文」、左の偏に当たる場合は「攵」になります。
改敢救教敬故攻敲敖孜敞数政整敵畋敦敗敏敷放…などにも使われますね!
左側が難しいです。ホが二つあって下に月があります。
ホの二つはくっつけます。
合わせて、「散」となります。
最後に4番目(左下)。
「人」です。
昔の人は『○○山人』『○○散人』などとつけがちなので、4番目に「人」が来たら、3番目もそれ系と推測すると良いでしょう。
【答え】
1~4番目合わせて、「澗雪散人」と読みます。
今回のお題は、現在弊社ホームページで販売中の 商品販売 <橋本関雪> 秋山吟客図
の印を読みました。
こちらの掛け軸はブログでも紹介しています。より詳しくご紹介しております。
掛軸紹介 <橋本関雪> 秋山吟客図
販売は現在、メールとお電話にて受け付けております。お気軽にご連絡くださいませ。
【掛軸紹介】
秋山吟客図
<橋本関雪>
《表具》 長さ 214㎝ 横幅 42㎝
《本紙》 長さ 151㎝ 横幅 30㎝
◆共箱(白沙村荘主人自稿)
山景のオレンジ色と、人物の鮮やかな朱色が映えるこの作品は、なんとも詩的な感じを受けます。
写生より写意、外形より内面や精神を重視しようとする<橋本関雪>の芸術の根底テーマは、こうした南画作品をきっかけに色濃くあらわれていったように思えてなりません。
南画とは、中国の高級官僚が知的修練のひとつとして余技に描いた絵画(文人画)のことをいいます。
「写実」よりも、描き手の内面や想念を描き出す「写意」を本質とする南画は、詩文を伴うことも多く、関雪も前半期の作品には自作の詩が書きこまれているものがみられます。
本作は、人物の表情から読み取れるものを自身の内面に照らし合わせ、存分に精神世界を味わえる作品ではないでしょうか。
シンプルな作風であればあるほどその自由度は高く、どんな境遇にある人にも寄り添ってくれることでしょう。
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【橋本関雪】1883-1945
明治16年、兵庫県生まれ。本名は関一。
片岡公曠に師事、竹内栖鳳に入門。
文展で連続特選となり、大正8年の第1回帝展から審査員。
中国や日本の古画を研究し、特に動物画に格調ある画風を確立した。
帝室技芸員、芸術院会員。
昭和20年2月26日死去。63歳。
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関雪は12歳で四条派の片岡公曠に師事、20歳で竹内栖鳳に入門し、四条派の画技を習得し、天分を大きく伸ばしました。
栖鳳がヨーロッパ旅行で得た見聞を描いた作品を、展覧会で目にしたことがきっかけで入門を思い立ったと伝えられています。
父、海関は明石藩の儒者で、兵庫県師範学校や神戸中学校の教諭を務めた人でした。
漢学・漢詩の塾を開き、多くの人材を育てた海関のもとへは、中国の政治家や学者が出入りするという環境で育ちました。
父からの薫陶を得て、中国の古典・歴史・文学といった深い教養に根ざした関雪の初期の作風は、四条派の熟達した技法を駆使して中国古典の世界をテーマとして描く、いわば和技漢才という独自の世界観を生み出し、高い評価を受けました。
大正10年、38歳の時に長男を伴ってのヨーロッパ旅行は8ヶ月にもわたりました。
フランス・イタリア・ドイツ・オランダ・イギリス等欧州各地でみた西洋美術は、その後の絵画観に大きな影響を与えたようです。
帰国して間もなく、写生のため中国へも渡りました。
この頃から関雪の南画制作がさかんに行われるようになったと思われています。
東洋と西洋のさまざまな画風・表現に触れて、関雪は「僕の行く可き途は南画より他にない。」という境地に至ったことが、自著からもうかがえます。
四条派~南画~動物画と画風を変えた関雪の中期にあたる時期は、「新南画の時代」として位置づけられています。
清代最後の文人とも、中国近代で最も優れた芸術家ともいわれる呉昌碩や、書画家としても一流で篆刻家でもある銭痩鉄との交流は、彼の生涯に多大なる影響を及ぼしたに違いありません。
人生において60回も中国を訪れた関雪の、南画や中国文化に対する愛着には、並々ならぬものがあったようです。
こちらの掛軸は、弊社9階ギャラリー「美想空 EN art gallery & space」にて販売中です。ぜひ、本物をお近くでご覧ください。
「心斎橋 暮らしのこっとう」 掛軸展示販売コーナー
美想空 EN art gallery & space
大阪市中央区南船場4-8-6 渕上ビル9F (株式会社縁)
ギャラリーは現在、ご予約制となっております。お気軽に下記までご連絡ください。
【予約制オープン】月~金曜 13:00-17:00
TEL:0120-261-540 Mail:info@art-en.jp
SNS:@kurashinokotto へダイレクトメール
弊社バイヤー山中による、『落款一問一答』講座、第二回目!
今回のお題は、女流花鳥画家の【荒木月畝】です。
上印
「荒印米子」
右上の「荒」…草冠なくなっております。まぁ、いいか。
その下の「印」…おそらく落款で一番よく使われている漢字。
首を右に傾けて見てください。
印は苗字の下に来ることが多いです。
荒木の「木」は省略されています。苗字の二字目は省略されがちです。
左上の「米」…これはそのまんまです。
最後に「子」…九に見えますが十です。
ぐにゃっとしてるところを伸ばしましょう→「♀」になります→「子」です。
了なども頭の部分が○になることが多いです。
下印
「月畝」
「月」…これも横にこけています。
「畝」…十が真ん中にきています。
署名も同じようになっていますね。一枚目の写真でご確認ください。
こちらの掛け軸はブログでも紹介しています。ぜひ、全体図をご覧ください。
掛軸紹介 <荒木月畝> 雨後白藤図
販売はこちらから。
商品販売 <荒木月畝> 雨後白藤図
販売は現在、メールとお電話にて受け付けております。お気軽にご連絡くださいませ。