弊社バイヤー山中による、『落款一問一答』講座!
今回のお題は【木村松亭】です。
村の「寸」。
気を付けの状態から両腕を真横に横に広げて、右手をぐーっと上から左へ伸ばす感じ。
松亭。
松は「木」の上に「公」がきています。松はパーツが上下になりがち。
亭は口が下にめり込んでいます。
こちらの掛け軸はブログでも紹介しています。ぜひ、全体図をご覧ください。
<木村松亭> 阿波踊り図
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商品販売 <木村松亭> 阿波踊り図
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【掛軸紹介】
撞木橋図
<菅楯彦>
《表具》 長さ 188㎝ 横幅 47㎝
《本紙》 長さ 124㎝ 横幅 35.5㎝
◆共箱(二重箱) 外寸 長さ 58㎝ 横幅 10㎝ 奥行 9.5㎝
◆封筒に入った菅真人(菅楯彦の甥)の手紙付き
とても勉強熱心だった<菅楯彦>。
漢学・国学・仏教美術史・宗教史を学び、その豊富な知識から
一時大阪陸軍地方幼年学校の美術と歴史の先生をしていたようです。
師について有識故実を学んだ彼の講義は、さぞおもしろかったに違いありません。
彼の好奇心は多岐に渡り、この頃に松原三五郎に洋画も学んだとか。
フランスでの美術展に出品した「春宵宜行」(現在ポンピドゥーセンターに収蔵)は高く評価され、
フランス政府買い上げとなりました。
歴史画を描くときの作風とはちょっと趣が違うこの絵は、なんとなく洋画のような雰囲気を醸しだしていますね。
どんな作風も自分のものにしてしまえる巧者、楯彦のまた違った一面を見ることができる作品です。
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【菅楯彦】1878-1963
明治11年、日本画家菅盛南の長男として鳥取に生まれる。
本名は藤太郎。幼いころ父とともに大阪に移住。
11歳の時に父が病に倒れ、学校を中退し、「盛虎」と号して絵筆で一家の生計を支えた。
特定の師につくことなく独学で四条派、狩野派、土佐派、浮世絵などを模写研究し、
独自のスタイルを確立。
浪花の風俗を愛し、自らを「浪花御民(なにわみたみ)」と称し、
はんなりとした情緒ある作風が特長。
「最も大阪らしい画家」と呼ばれ、今なお多くのファンが存在する。
晩年には日本画家として初の日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。
昭和37年には初の大阪名誉市民に選ばれた。
昭和38年、85歳で死去。
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こちらは「心斎橋 暮らしのこっとう」 掛軸展示販売コーナーにて、販売中です。ぜひ、本物をお近くでご覧ください。
「心斎橋 暮らしのこっとう」
美想空 EN art gallery & space
大阪市中央区南船場4-8-6 渕上ビル9F (株式会社縁)
ギャラリーは現在、ご予約制となっております。お気軽に下記までご連絡ください。
【予約制オープン】月~金曜 13:00-17:00
TEL:0120-261-540 Mail:info@art-en.jp
SNS:@kurashinokotto へダイレクトメール
【掛軸紹介】
群猿図
<加藤君鳳>
《表具》 長さ 207㎝ 横幅 66.5㎝
《本紙》 長さ 130㎝ 横幅 51㎝
◆共箱(二重箱) 外寸 長さ 77㎝ 横幅 10㎝ 奥行 9㎝
北海道で多くの動物を飼いその生態を観察して写生に努めた師、望月金鳳は、
門弟たちに「拙くても自分で研究した絵を描け」と言っていたようです。
猿の画で広く知られる森派の流れをくむ<加藤君鳳>の群猿図。
猿たちの語らいが聞こえてくるような、楽し気な様子に惹きこまれます。
しばし群猿たちを眺めていると、きっとお気に入りの一匹がみつかるに違いありません。
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【加藤君鳳】1892-?
大正~昭和初期の日本画家。
明治25年、東京生まれ。円山四条派。
望月金鳳の門に学び動物・花鳥画を得意とする。
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【掛軸紹介】
阿波踊り図
<木村松亭>
《表具》 長さ 192㎝ 横幅 48㎝
《本紙》 長さ 113㎝ 横幅 36㎝
絵の右上には、昭和20年に徳島大空襲で焼失するまで徳島市のランドマークとして親しまれた、
大滝山三重塔(徳島市の眉山にあった仏塔)が描きこまれています。
その忘れえぬ景色とともに、阿波踊りの様を楽し気に色鮮やかに描いたこの作品は、
まさに木村松亭の名品だと言えるでしょう。
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【木村松亭】1885-1948
明治18年生まれ、昭和23年64歳没。
阿波の絵師。犬伏真渕の弟。
守住貫魚門人の中で最も傑出した画人とされた森魚渕のもとで
兄と一緒に住吉派の画を学び、歴史画・花鳥画を得意とした。
徳島市富田浦幟町の人。
一時期、香川県大川郡引田町に住んで居る頃は前田垂穂とも称す。
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徳島の地に多くの作品を残し、門人を育てた阿波の住吉派は、
明治20年代にできた徳島絵画協会では中心的な役割を担い、大いに発展しました。
門弟たちは阿波国雅癖会という美術団体を組織し、門下の描く風俗画がきっかけで
「阿波踊り」という言葉が生まれたようです。
こちらは「心斎橋 暮らしのこっとう」 掛軸展示販売コーナーにて、販売中です。
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【掛軸紹介】
扇面 仏画 不動明王図
<佐藤玄々>
《表具》 長さ 122㎝ 横幅 66㎝
《本紙》 長さ 29.5㎝ 横幅 54㎝
彫刻家として名をはせた<佐藤玄々>の描く「不動明王」。
描かれた部分は顔の表情だけなのに、すさまじい生命力が伝わってくる
躍動感に満ちた作品に仕上がっています。
この人の創る彫刻はどんなだろう、ぜひ見てみたいと思わせるほどの迫力です。
不動明王といえば、炎で煩悩を焼き払い、剣で魔を退散させると言われる「お不動さん」の名で親しまれていますが、
この掛軸は見るたびに、背中がシャキーンとなりそうですね。
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【佐藤玄々】1888-1963
福島県相馬市出身の彫刻家。75歳没。
名は清蔵、別号に朝山・阿吽洞。父・伯父は宮彫師。
抜群の写生力と生命力のある作風で、
造形(彫刻)においては日本伝統と、渡仏し「ブールデル」に
学んだ西洋彫刻を融合した独自のスタイルを築く。
帰国後、院展・帝展で活躍。芸術院会員。
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佐藤玄々は巨匠・横山大観に天才と言わしめた近代木彫の大家です。
スケールの大きいものから可愛らしい野菜や小動物まで、大小様々な作品を手掛けました。
日本橋三越本店の巨大な「天女(まごころ)」像や、皇居のお堀にある和気清麻呂像が有名ですが、
戦災ではアトリエが全焼し、多くの作品が焼失しています。
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